公開日
OTV報道部

OTV報道部

20代で余命宣告 難病ALSを患う男性 体が動かなくなっていく中でも挑戦したいこと

体の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて力がなくなり、最終的に自力での呼吸ができなくなる難病、ALS。

20代の若さでこの病気を患ったのが、糸満市出身の眞榮田純義さん。

元気に暮らしていた今までの生活から一変し、徐々に体が動かなくなっていく中でも挑戦したいことがあると前を向いている。

手に力が入らず文字が書けない

眞榮田純義さん
「実家に出すお歳暮です。読めるか読めないかという字を書きました。久々に。疲れた」

手に力が入らずなかなか文字が書けない。

体の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだん痩せて力がなくなっていくALS・筋萎縮性側索硬化症を患っている眞榮田純義さん(29)。

眞榮田純義さん
「もう基本的には車いす。家の中で歩かなくなったら一気に歩けなくなりそうだったので、家の中だけは歩こうということで、歩いているという感じです」

ALSは発症の原因が分かっていない上、根本的な治療方法も見つかっていないことから病状の進行を止めることができず、日に日に筋肉が衰え、いずれ自力での呼吸ができなくなる。

60代から70代の高齢で発症することが多い一方、2022年時点で20代でこの病気を患っている人は、国が把握しているだけでも20人に満たないとされている。

27歳で余命宣告

今まで大きな病気もなく元気に過ごしてきた眞榮田さん。

体に異変が起こったのは2021年のことだった。
最初の症状は右手の親指の違和感。元々右利きだが、右手に力が入らなくなり、お箸も使えなくなってきて、転ぶことも多くなった。

病院を受診して検査入院し、医師から告げられたのは「余命3年から5年」
当時27歳という若さで余命宣告を受けた眞榮田さん。

その日の夜、地元の幼なじみに病気と余命を伝えた。

友人たちは、「あと短いんだったら何したい?逆に心残りは?何やるの?」と眞栄田さんがこれからやりたいことを聞いた。
眞栄田さんは元々オートバイが好きで、大型の免許まで持っていたため、「最後にバイクに乗りたい、多分いましか乗れないから」と伝えた。

それを聞いた友人たちは希望を叶えたいと次の週、仕事や予定を変更して眞榮田さんの元に集まった。

眞榮田純義さん
「最高でしたね。本当に自分が好きだったバイクに乗れる、最後に乗れたというのがめちゃめちゃ幸せで。あいつらには感謝してもしきれないですよね」

病気を通して得られるものもある

残された時間の中でともにたくさんの思い出をつくっていきたいと、友人たちとやりたいことリストを書き出し、一つひとつ実行している。

眞榮田純義さん
「歩める時間が人よりも短いとわかっているのに、落ち込むことに時間をかけるのはもったいないかな。余命を言われたときも落ち込むことはなかったですね。落ち込んで治るんだったら落ち込みますけど」

決してマイナスなことばかりではなく、病気を通して得られるものも多いと眞榮田さんは話す。

眞榮田純義さん
「当たり前に僕も生きていたんで、周りのありがたさにめちゃめちゃ気付きました。小さいことでもとても幸せだなと思えるようになりました。そこはすごく良いものを得たなと思っています。その感覚は、病気になってこの先短いよと言われたからこそ得られる特権かなと」

絶望して引きこもるのはもったいない

自分の今を、より多くの人に知ってもらいたいと、眞榮田さんは2023年に初めて講演会を開催した。

会場を埋めつくすほどの来場者が訪れるなか、眞栄田さんはある決意を語った。

眞榮田純義さん
「病気を抱えながらでも家族や友人との時間、コミュニケーションを大事にしていきたい。それが僕の一番の気持ち。そのため、これから僕は訪問看護を立ち上げます」

難病の患者や重い病気をかかえる子どもたちが、家族や友人、大切な人たちと自由に生きられる環境を作っていきたいと考えた眞榮田さんは、同級生の看護師と一緒に訪問看護の事業を立ち上げていて、2024年の夏の本格始動に向けて準備を進めている。

眞榮田さんは、「良くも悪くも20代でこの病気になっている人は本当に数が少ないので、その中の1人になったから、せっかくなので動いてみようかな」という気持ちが原動力となった。

眞榮田純義さん
「ALSで閉ざされている人も多分いるかなと思います。せっかく残された短い時間を、絶望してお家に引きこもるのはもったいないなと思うので、そういう人たちのちょっとした力になればいいなと思っています」

難病を患ったからこそ、今の自分にできることをやっていきたい。
眞栄田さんは、新たな目標に向かってこれからの人生を歩んでいく。

あわせて読みたい記事

HY 366日が月9ドラマに…

あなたへおすすめ!