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長嶺 真輝

長嶺 真輝

「自ら成長できる」選手を。就任1年で琉球ゴールデンキングスU15を初の全国準Vに導いた末広朋也HC…主導する改革と“世界基準”の指導論

宮古島から東海大に…「奇跡」重なり日本代表スタッフへ

「自ら成長できる」選手を就任1年で琉球ゴールデンキングスU15を初の全国準Vに導いた末広朋也HC…主導する改革と“世界基準”の指導論
インタビューに答える末広ヘッドコーチ

保健体育の先生になって、部活動でバスケットを教えたいー。

「成功体験を積ませてくれるいい大人との出会いがありました」と、ミニバスケットボールチームに入っていた宮古島市立西城小学校時代に将来の夢が決まった末広氏。西城中学校、宮古高校を経て、教員免許を取るために東海大学に進んだ。

在学中は勉学の傍ら、女子日本代表のアシスタントコーチなどを歴任してきた鈴木良和氏が主宰するバスケの個別指導教室「エルトラック」でコーチングを学んだ。将来の目標は「宮古島の子たちを日本一にする」こと。大学4年時からは強豪で知られる東海大の学生コーチとなり、身長が小さい島の選手たちで全国に挑むことを想定して緻密な戦術分析に力を入れた。

すると、名将で知られる東海大の陸川章HCから人生の転機となる誘いが舞い込む。

「台湾で開催されたウィリアム・ジョーンズカップに日本代表のビデオ撮影スタッフとして帯同できないか、というものでした。あの頃はまだ戦術分析のスタッフが定着していなくて、陸川先生が日本協会の方に『こんな奴がいるぞ』と僕の名前を出してくれたんです。喜んで参加しました」

当時、女子日本代表の前HCである恩塚亨氏がテクニカルスタッフを担い始めた時期で、分析の高度化が進む世界の潮流に乗るためにも、男子代表にも同じ役職を導入しようという流れがあったという。台湾での働きぶりや学生コーチとしての日々の活動が評価され、正式に日本協会の職員として代表スタッフ入りすることを打診された。

多くの学びが得られるであろうチャンス。「いろんな奇跡がピタッと重なり、普通ならあり得ないような話を頂きました」。宮古島で教員になるという夢はひとまず後ろ倒しにし、自身の知見を広げるため、大学卒業と同時に新たな世界へ飛び込んだ。

男子代表のテクニカルスタッフを担ったのは2011年から2018年までの7年間。U16からトップチームまで全てのカテゴリーで代表チームに帯同し、各世代のワールドカップも経験した。巧みな戦術や、緻密なスカウティングを無にしてしまう程の強烈な個など広い世界を目の当たりにし、「バスケットボールのゲームを見る方法」を学んだという。

「よく『リバウンドを制するものは…』などと言われたりしますが、そういう勝つために必要な部分への着眼点が自分の頭の中でパッパッと浮かぶようになりました」と話す。黒子として積み重ねた貴重な経験の連続が、その後のコーチキャリアに生かされることは言うまでもない。

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