ローカルニュース,地域,暮らし
125年前ハワイに到着した移民 ”人は奴隷そのもの…牛や馬のほうが大切に扱われた” 海を越えた先駆者たち
厳しい環境を耐え抜いた1世たちの記録を後世へ
幻となったハワイ移民の40年史。しかし1人だけ本の行方を探す人物がいた。戦後の沖縄救援に奔走し、ハワイ移民の映画を制作した県系2世の比嘉太郎。
1982年に発刊した自伝で、40年史が戦火で焼失したと記している。

ハワイの青年会の一員だった比嘉は親泊の調査に協力し、親泊は次世代のリーダーとして比嘉に期待を寄せていた。
沖縄県立図書館 原裕昭さん
「親泊義良と比嘉太郎の手紙のやり取りが残されています。『お父さんやお兄さんが畑で働いているので県人会活動ができるのだから、親兄弟には感謝しなさい』など自分の利益を考えてはだめですよという内容を激励の言葉みたいな形で手紙の中で伝えています」

親泊は比嘉への手紙の中で、沖縄以外の日系移民への複雑な感情を吐露している。
「ある二世の轍」(比嘉太郎の自伝)より
「私共は長い間いじめられてきた沖縄県人です。一層の努力を発揮し県人社会はもちろん、一般日本人社会に認めしめるようお互い邁進しようではありませんか」
比嘉は戦後、焼失を免れた「布哇(ハワイ)沖縄県人発展史」が3冊だけハワイに送られたとの情報を得て、持ち主を探した。
「ある二世の轍」(比嘉太郎の自伝)より
「私はその人にお願いして書架を一緒に見せてもらったが、家の雨もりがひどく、ほとんどの本が朽ちてしまい、残念ながらどうする事もできなかった」
60年前、比嘉太郎が制作した映画「ハワイに生きる」の終盤では、移民1世の老夫婦とその家族が紹介されている。
映画「ハワイに生きる」(企画:比嘉太郎)より
「この大家族は與儀(よぎ)さん老夫婦二人から誕生したのでございます。この姿こそハワイ沖縄移民65周年の本当の姿なのです」
あわせて読みたい記事