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一夜にして消えた村…那覇は全家屋の9割にあたる約1万1000戸が焼失した
目次:一夜にして消えた村
・戦火に消えた村
・那覇市の9割焼失
・少年が見た空襲
・戦争に利益はない
・一夜にして消えた村:動画ニュースで見る
那覇市の9割焼失
1944年10月10日、アメリカ軍が那覇を中心に行った大規模な空襲、いわゆる「10・10空襲」。
当時の那覇市は那覇・首里・真和志・小禄の四つに分かれていた。

那覇は全家屋の9割にあたる約1万1000戸が焼失する壊滅的な被害を受けた。

民間人の犠牲者は330人。このうち那覇では255人が命を奪われた。
那覇のど真ん中で見つかった10・10空襲の痕跡。出土品には黒いすすが付着し、空襲によって集落が炎に包まれたことや、突如として住民たちに襲いかかった状況をうかがい知る物も見つかった。

沖縄県立埋蔵文化財センター 大堀晧平さん
「本当にそのまま地面にベシャっと皿などが割れた状態で出てきました。破片を全部つなげると元の形に戻ります。本当にある日突然、空襲や沖縄戦が始まって建物が燃え家財道具も建物に押しつぶされたのだということが分かります」

沖縄県立埋蔵文化財センターがこれまで行ったほかの発掘調査では、空襲の被害を防ごうと埋められた家財道具が見つかることもあった。しかし、今回の出土品からは避難する時間すらなかったことがうかがえる。
沖縄県立埋蔵文化財センター 大堀晧平さん
「特徴的なのは近代の湧田村の遺構そのものに赤や黒い焼け跡が残っていることです。熱を受けた痕跡から、今まで営まれていた村が、そのまま焼け落ちたということが今回の発掘から見えてきたと思います」

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