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OTV報道部

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一夜にして消えた村…那覇は全家屋の9割にあたる約1万1000戸が焼失した

目次:一夜にして消えた村
・戦火に消えた村
・那覇市の9割焼失
・少年が見た空襲
・戦争に利益はない
・一夜にして消えた村:動画ニュースで見る

少年が見た空襲

81年前の1944年、当時13歳で登校中に10・10空襲に遭った金城重正さん。今も当時のことを鮮明に記憶している。

金城重正さん
「奥武山(おうのやま)の鳥居を通って今の陸上自衛隊の入り口まで来たとき、市内を見たらもう煙が上がっていて学校も見えなくなっていました」

【戦世から80年】県庁の傍で見つかった10・10空襲

金城さんは、現在のバスターミナル付近にあった防空壕に逃げ込み九死に一生を得た。しかし空襲が収まって外に出ると、那覇の街並みは一変していたという。

金城重正さん
「県庁には爆弾がいくつも落とされました。今の那覇市役所のそばには警察がありますよね。あそこは昔も警察で爆弾が落ちて、半分壊れたのを私は見たのです」

空襲は午前7時前から午後4時ごろまで5次にわたって波状的に続き、那覇の街の至るところに爆撃による大きな穴ができたと金城さんは語る。

【戦世から80年】県庁の傍で見つかった10・10空襲

金城重正さん
「小禄でも今の331号線に爆弾が落ちて、もう池みたいになって道も通れなくなったのですよ。あのときの那覇市内の様子は我々の年代じゃないと分からないでしょうね」

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