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OTV報道部

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100歳で亡くなった曾祖母。泣きながら話す曾祖母に沖縄戦について深く聞くことができなかった…戦後80年

目次:
・沖縄戦から80年の地平
・那覇市の9割焼失
・少年が見た空襲
・動画で見る

那覇市の9割焼失

講義を受講するきっかけは今年100歳で亡くなった曾祖母の存在だ。

きっかけは曾祖母の戦争体験 学生が向き合う沖縄戦終結から80年の問い

沖縄大学3年 照屋妃さん
「小学生の時に(戦争体験を)1回聞いたことがあったんですけど、曾祖母が泣きながら話していたので『もういいよ』って言ってそれ以上聞けませんでした。今思えば貴重な話だったのでもっと聞いておけばよかったと思います。講義を通して当時の人々の思いを自分の目で見て感じたいと思いました」

きっかけは曾祖母の戦争体験 学生が向き合う沖縄戦終結から80年の問い

商業施設が立ち並ぶ那覇新都心。ここもかつては多くの血が流れた激戦地の一つだ。

きっかけは曾祖母の戦争体験 学生が向き合う沖縄戦終結から80年の問い

日本軍とアメリカ軍は複数の小高い丘で激しい陣地の奪い合いを繰り広げ、学徒や住民などを含む数千人もの犠牲者を出した。地表は射撃の応酬によって焼け焦げ、戦闘の激しさを物語っている。

きっかけは曾祖母の戦争体験 学生が向き合う沖縄戦終結から80年の問い

講義2日目、学生たちはフィールドワークで日本軍が防御陣地を築いた丘、通称ハーフムーンヒルを訪れた。

遺骨収集ボランティア・ガマフヤー 具志堅隆松代表
「この弾痕は反対側まで貫通しています。そして破壊面積も大きいですよね。おそらく13ミリ機関砲だと思います。ここから出てきた遺骨が172体、その中の3人は遺族のもとに帰ることができました」

この場所では、激しい攻撃による弾痕が今も岩肌に残る。戦後の調査では、多くの遺骨が見つかっており、いまもなお土の中に遺されたままの遺骨がある可能性が指摘されている。

きっかけは曾祖母の戦争体験 学生が向き合う沖縄戦終結から80年の問い
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