公開日
OTV報道部

OTV報道部

国家に強制された死 。沖縄のガマと呼ばれる”自然洞窟で起きた悲劇” 38年間のタブー…戦後80年何故その沈黙を破ったのか?

目次:
・「はじめは好奇心から」埋もれた記憶を掘り起こす旅
・沈黙が破られた瞬間 
・住民を死に追いやったもの
・自国民のホロコースト 国家に強制された死

住民を死に追いやったもの

調査を通じてチビチリガマの事実は明らかになったが疑問が残った。

なぜ人びとは自ら命を絶たねばならなかったのか。体験者の多くは背景に“教育”があったと語った。

下嶋哲朗さん
「東条英機の戦陣訓『生きて虜囚の辱めを受けず』という言葉がありました。小学校のころから教え込まれ、紙芝居や歌などさまざまな媒体を通じて広がっていったのです。日本人なら捕虜になる前に死ぬのが当たり前という共通認識ができあがっていました」

アメリカ軍に捕まれば女性はもてあそばれて殺され、男性は残酷に殺される。「鬼畜米英」と教えられてきた住民にとってアメリカ兵は恐ろしい存在だった。

だが、実際にチビチリガマに入ってきた兵士は住民に飴玉を手渡した。

体験者
「毒が入っていてもどうせ死ぬなら食べたほうがいいと思って飴をもらって食べました。本当はね親切だったんです」

刷り込まれた敵像とは異なる姿に住民は言葉を失った。

肉親の死とは何だったのか。なぜ自分自身や家族を死に追いやらなければならなかったのか。触れてはならない記憶となり「沈黙」は38年に及んだ。

下嶋さんは中間報告でこう記している。

チビチリガマ中間報告より
「ある方が『悪い夢を長いあいだ見続けているようです』と語ったという。その言葉から生き残った人々こそが、戦争の真の被害者なのではないかと考えさせられた。『戦争体験者から確実に体験を受け継ぐことが、二度と戦争をしない、させないことにつながるのです』」

長い沈黙が破られたとき チビチリガマの”集団自決” 作家の下嶋哲朗さん真実を掘り起こした調査 沖縄戦から80年

下嶋哲朗さん
「体験者の皆さんにとってはようやく闇に光が差したのだと思います。集団自決というのは看護婦さんも含め教育の犠牲者でした。そう教え込まれてきた人たちが亡くなっていった。その事実が明らかになったことでようやく安心できた。解放されたと感じたのだと思います」

教育に基づく住民の強制集団死は沖縄だけでなく、沖縄県系人が暮らしていたサイパンやテニアン、満州でも起きている。

OKITIVE公式インスタグラムはこちら!
OKITIVE公式インスタグラムはこちら!

あわせて読みたい記事

あなたへおすすめ!