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「出会い」と「試練」が育んだ僕のメンタル #18脇真大【KINGS PLAYERS STORY】

納谷幸二監督は自由にやらせてくれた。高校でハンドリング能力が磨かれたと思う。

高校は故郷の熊本を離れ、岡山商科大学附属高校に進学した。監督は元日本代表の納谷幸二さん。父がトヨタ自動車に所属していた頃の後輩に当たる。納谷監督から誘いを受け、「もっと上手くなるならここだ」と感じ、選択した。

この高校を選んだのは、当時から「ジャパンのユニフォームを着たい」という思いが強かったことも理由の一つだ。

日本代表のトップチームというよりも、同級生の河村勇輝(NBAシカゴ・ブルズ)や横地聖真(島根スサノオマジック)、三谷桂司朗(広島ドラゴンフライズ)など、上手い選手が既に世代を背負っていて、その姿に対する憧れがあった。特に山口県の柳井中学校にいた河村は、当時からバケモノ級だった。僕は中学校まで、そこまで力のある選手ではなかったから、高校で彼らのいる位置まで追い付きたいという目標があった。

世代別代表には各地方から一人は呼ばれることが多く、中国地方はそこまで目立った選手がいなかった。そこで飛び抜けた力を付け、世代別の日本代表に招集されたいという思いがあった。

納谷監督は本当に素晴らしいコーチで、ミスをしても怒るようなことはなく、それまで僕ができなかったスキルもどんどんトライさせてくれた。僕は点を取りたい選手で、高校で身長が190cmを超えたけど、ずっと1〜3番をやらせてくれた。1年生の頃からプレータイムをもらい、ボールをキープするハンドリング能力はこの頃に磨かれたと思う。

当時のチームはほぼ地元出身の選手。県内ではほとんど敵無しだったけど、全国レベルではなかなか勝てなかった、それでも3年生の最後のウインターカップはベスト16まで進出することができた。強豪校は全国から好選手が集まっていて、留学生もいたりするから、どうしても勝つハードルは高い。その中でも「絶対にメンタルでは負けない」ということを強く意識していて、この大会では一人で毎試合30〜40点台を取っていた。

ハンドリングやドライブ、フィニッシュ能力など、高校で今につながる強みを伸ばしてもらった。そのおかげもあり、U18日本代表候補に招集されるまでに力を付けることができた。

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