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琉球ゴールデンキングス

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“決断”をすれば、全ての出来事に意味を見出せる #10荒川颯<上>【KINGS PLAYERS STORY】

「絶対に俺も代表に入ってやる」と思っていたことが、努力の源になっていた。

高校は洛南(京都府)に進んだ。1対1を強調していた藤枝明誠(静岡県)と迷っていたけど、洛南のクールな雰囲気に惹かれた。入れ替わりだった伊藤達哉さんたちの代はインターハイ準優勝、国体優勝、ウインターカップ3位。強さも理由だった。

入学したら、中学の時に“あり過ぎた”自信を全てへし折られた。フィジカル、シュート力、ハンドリング…。それまでできていたことが、全部できなくなった。全部が足りない。どうしたらベンチに入れるか、どうしたら試合に出られるか。初めて「何かを変えないといけない」と感じた。

ただ、当時は特別な知識があるわけじゃない。幸い、寮から徒歩30秒くらいで体育館があったから、チーム練習以外の時間に人より多くシュートを打ったり、ウエイトトレーニングをしたりしたけど、努力の質は高くはなかった。

それでも、2年生の頃から1番(ポイントガード)や2番(シューティングガード)で試合に出場することはできた。洛南は入学してすぐに50種類くらいのフォーメーションを覚える。自分のスタイルとは真逆だったけど、3年間を振り返ると、戦術的な部分は叩き込まれたと思う。

高校3年生の時にはU18日本代表に入った。2015年8月の第23回日・韓・中ジュニア交流競技会だ。当時は「エンデバー」という育成枠のような合宿に参加していた。大浦颯太や一つ下のテーブス海らがいた。合宿の最後にメンバーで1on1トーナメントをして、1番になった。シューティング賞も獲得したことで、U18のトップチームに招集されたんだと思う。

当時は、寺嶋や鈴木悠介(三遠ネオフェニックス)など洛南の同期の3人が2年生の頃から代表候補に入っていて、それがすごく悔しかった。「絶対に俺も代表に入ってやる」と思っていたことが、努力の源になっていた。こういう負けず嫌いな部分は、自分のもともとの性格。今も変わらない。

初めての国際大会だった交流競技会では2試合目からスタートで出て、二桁得点を挙げたりして、結構活躍できた。あの時、「努力は報われる」という感覚を初めて味わえた。

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