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夢は結果ではなく、旅路だ #10荒川颯<下>【KINGS PLAYERS STORY】
2023-24シーズンは僕の“ルーキーイヤー”。ようやくプロアスリートとしての土台に立つことができた。
2023-24シーズンは、選手としての自信を取り戻せたシーズンだった。
もちろん、初めからうまく行ったわけじゃない。ディフェンスで前からプレッシャーをかけること、コーナーにステイして3ポイントシュートを決め切ること、という二つの役割を与えられた。これまでの自分のスタイルと全く違っていて、開幕からの約4カ月間で1試合しか得点を決められなかった。

一時は北海度の時と同じような気持ちになり、「また同じようなことを繰り返しているな」とメンタルが落ちた時期もある。「また来年も契約がなくなるかもしれない」という不安も頭をよぎった。でも、それまでの苦労や反省があったから、この時は「より一層の準備をしよう」という気持ちになれた。ワークアウトではコーチに対して質問をすることが増え、チャンスを待っていた。

すると、中盤戦で祥太さん(小野寺祥太)が負傷離脱した。「祥太さんのディフェンスを受け継ぐ」と心に決め、祥太さんの真似をしてヘアバンドを付けるようになった。
その後にあったアウェーの佐賀バルーナーズ戦で、途中出場の直後にコーナー3ポイントを決めた。さらにプレー再開後、前線から相手ガードにプレッシャーを仕掛け、ターンオーバーを誘った。この試合を機にディフェンスマインドが定着し、自分の役割が明確になったと思う。その後も牧(牧隼利/大阪エヴェッサ)がコンディション不良で欠場した際、ボール運びを任されたりして、またチャンスが巡ってきた。
やるべきことをやっていたら、チャンスは目の前に現れる。そう実感した。
僕の中では、このシーズンが“ルーキーイヤー”だと思っている。チャンピオンシップ(CS)で活躍することはできなかったけど、2020年にプロキャリアをスタートさせてから、初めて「試合に出た」という感覚を持てたシーズンだった。
一人のプロアスリートとして、ようやく土台に立つことができた。

2024-25シーズンは11人で開幕を迎えた。成長するチャンスをもらいながら、「攻撃的なポイントガードという理想像に近付いていきたい」という思いでスタートした。ただ、達哉さん(伊藤達哉/広島ドラゴンフライズ)が開幕戦で負傷離脱して、試合のコントロールも含めていろいろな事をやろうとし過ぎてしまい、初めはなかなかうまくいかなかった。
もちろんPGはやりたい。でも、PGのメンタルでコートに入ると、自分の持ち味の得点力が生かせない。自分の理想像と、それを体現し切れないモヤモヤした気持ちの狭間で、葛藤を抱えていた時期だった。
ただ、2カ月後くらいに達哉さんが復帰したタイミングで、その葛藤は吹っ切れた。あまり頑固になり過ぎず、チームの状況にフィットしようと思い、その後は自分の得意な状態でプレーすることを心掛けた。端的に言ってしまえば、PGの役割を捨てた。自分のクイックネスやシュート力を生かして得点を狙い、結果も表れてきた。
しかし、キングスが初優勝を飾った3月の天皇杯決勝は2分51秒しか出場できなかった。打つべきタイミングでシュートを打ち切れず、ターンオーバーを2回して下げられた。その前の1週間にあったEASLファイナル4、島根スサノオマジックとのホーム戦でいいパフォーマンスを出せず、いいイメージを持てないまま試合に入ってしまった。
優勝したその日は、喜びに浸った。でも、一夜明けて、悔しさが込み上げてきた。「これでいいのかな」「自分が活躍しないでチームが優勝して、本当にそれで喜べるのか」「こういう選手になりたいわけじゃない」。考えた末に、ある決断をした。
「僕がチームを優勝させる」
その日は、試合を観戦に来ていた両親と山梨県の旅館に泊まりに行った。「試合おもしろかった?」と聞いたら、言葉に気を付けながらも、喜んでいる様子だった。その時、両親には「オレが活躍して勝った方がうれしいでしょ?」という話をした。決意は、より固くなった。

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