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真境名 育恵

真境名 育恵

沖縄ハードコアバンドのアイコン!「地獄車」。 己のアイデンティティの希求が現在につながる感覚。

沖縄ハードコアバンドのアイコン!「地獄車」。 己のアイデンティティの希求が現在につながる感覚。

1996年11月、沖縄国際大学で知り合ったメンバーで結成したハードコアバンド「地獄車」!
バンド名は漫画「柔道一直線」に由来。バンドコンセプトは格闘技とサウンドの融合。1997年、6曲入りのデモテープ『象殺し、地獄拳』を発表、500本を完売しました。1999年1月、1stアルバム『地獄車』を発表、沖縄チャート初登場で、なんと当時人気絶頂だった「SPEED」を抑え1位を獲得。
活動休止期間を経て、2023年7月、一度きりのシークレットライブを行ったことをきっかけに、2025年正式に再結成を果たしました。

メンバーチェンジという新陳代謝を繰り返しながらも29年間、活動してきた「地獄車」。
那覇市のライブハウス「out-put」にて、3年ぶりに復活した下條スープレックスホールド(ことVo下條達也氏)を迎えてのライブで、観客とフロアを熱くたぎらせたばかり。
今回は下條スープレックスホールド氏に、再始動した「地獄車」について伺いました。

目次

20年以上前の『ピースフルラブ・ロックフェスティバル』

沖縄ハードコアバンドのアイコン!「地獄車」。 己のアイデンティティの希求が現在につながる感覚。

_(真境名)
「下條さん先日(2025.8.3)は再結成ライブおめでとうございます!
実はわたし20年以上前に、ハードコアバンド「地獄車」が沖縄の夏の風物詩『ピースフルラブ・ロックフェスティバル』に初出場した時に、地元タウン誌ライターとしてインタビューさせて頂いていました。当時、大学時代にアルバイトでFM沖縄の伝説的番組『ポップンロール・ステーション』の学生ADとして働いたあと、ライターになって一年目の出来事でした。」

_下條スープレックスホールド氏(以下:下條氏)
「そうだったんですね!いやー全然覚えてないですね!すみません(笑)。
当時は沖縄を代表する音楽フェス『ピースフルラブ・ロックフェスティバル』に出場できるという、いわゆる“選ばれし者”になれた喜びで打ち震えていたと思うんですよ。結構、生意気なことも話したかも知れませんね。」

_(真境名)
「逆に私はライターになりたてのロックもハードコアも良くわかっていない新人で、当時、県内外から大注目のハードコアバンド『地獄車』のメンバーに何を聞けばいいのだろう・・・と、心底、震えあがっていたのをはっきり覚えているんですよ。
でも実際に話した下條さんが、柔らかい口調ですごく安心したんです。その日から20年以上経って、こんな風にインタビューさせて頂くことになったのは、たまたま慰霊の日に某SNSでコメントし合ったのがきっかけですね。
さて、今年で29年目を迎える『地獄車』ですが、バンド結成のきっかけは何だったんでしょうか?」

沖縄ハードコアバンドのアイコン!「地獄車」。 己のアイデンティティの希求が現在につながる感覚。

「たまたま大学のサークル仲間というか友人からでバンドするから一緒にやらないか?と声をかけられたのがきっかけです。
でも俺、楽器できないよ?って。そしたらボーカルでいこう!となりましてね。
それこそノリで2、3回くらいのライブ活動で終わると思っていたので、バンド名も特に深く考えず俺が好きな梶原一騎原作の劇画「柔道一直線」の技として出てくる『地獄車』という名前を俺の親友が名付けてくれましたね。こんなに長く続くならもっと考えて名づければ良かったんですけど、その頃はとにかくインパクトがあるので名づけたんです。その後、「タワーレコード那覇」で開催された音楽イベントで、これまた、たまたま司会をすることになってしまって・・・。突然のことで何を喋ったらいいのか分らなくて、とにかく大好きなアントニオ猪木の引退試合の話した
んですよ。それが思いがけず観客にウケましてね。会場にいたFM沖縄の某番組プロデューサーに気に入ってもらって、いきなりラジオ番組を持つことになりました。」

_(真境名)
「いきなりふられたイベント司会を経て、ラジオ局のプロデューサーに声をかけられるなんて、ラッキーが過ぎます(笑)。それくらい下條さんのキャラと喋りに当時からカリスマ性があったという事だと思います。そこから『地獄車』は、1990年代の沖縄音楽シーンにおけるハードコアバンドのアイコンとして人気を博すことになっていきましたね。」

時代の流れにのって全国へ

沖縄ハードコアバンドのアイコン!「地獄車」。 己のアイデンティティの希求が現在につながる感覚。

_下條氏
「これは本当に“時代の流れ”にのったというか成り行き任せというか。当時の沖縄はアクターズ出身の歌手やアーティストの活躍も目覚ましくて、全国で“沖縄音楽ブーム”が巻き起こっていました。
俺、県外のライブでは冗談で「俺もアクターズ出身なんですよ!」とか話したりして、観客はどわっと笑ってくれてね。全国どこのライブ会場でも面白がってもらったというか。
“沖縄から来たの!すごいね!”みたいな歓迎ムードで楽しかったですね。
アクターズ様々でもありますよ、冗談抜きでそう思います。」

_(真境名)
「そこは本当に“時代”に愛されたバンドといえると思います。」
下條さんが先ほど話したように、アクターズ出身の歌手達が全国区で売れ始めていて、一昔前の沖縄出身者が東京に行ったときに感じる“沖縄コンプレックス”みたいなものを払拭してくれた。メジャーもインディーズも含めて“音楽の力”で覆してくれた感があります。あの頃から、沖縄の若い子たちが県外で沖縄出身者であることを誇りに思えるような空気感が確実に生まれた気がします。ところで当時、メジャーデビューの話は出なかったんでしょうか?」

_下條氏
「ありがたいことに敬愛する『筋肉少女帯』が所属する事務所からメジャーデビューの話は頂いたんですよ。
俺たちはすでにインディーズレーベル「ROTTEN ORANGE」からデビューしていましたから、世話になってるレーベルや事務所に悪いと思い、メジャーに行かなかったんです。
当時の全国のインディーズ界の風潮として、“沖縄発インディーズで活動していく路線がいい”という考え方というか風潮がありました。俺たち以外の活躍するインディーズバンドも、そういったスタンスが多かったと思います。」

ミュージシャンでありエンターテイナーとして

沖縄ハードコアバンドのアイコン!「地獄車」。 己のアイデンティティの希求が現在につながる感覚。

_(真境名)
「ある意味、沖縄発インディーズバンドがブランド化していたというか、ちゃんと全国で認知されて売れる時代でもあったんですね。
そんな90年代から現在まで、メンバーの入れ替わりを繰り返しながら29年目を迎えた『地獄車』ですが、今後の展開や展望を教えていただけますか?」

沖縄ハードコアバンドのアイコン!「地獄車」。 己のアイデンティティの希求が現在につながる感覚。

_下條氏
「今年の具体的な活動としては、那覇市内で9月と11月にライブを控えています。
展望としては現在のメンバーでアルバムを作るのが目標です。
それと俺、沖縄出身の母親と米兵の父親とのハーフじゃないですか?
俺の中の沖縄ロックとは米兵と沖縄人のハーフがやるもんだという勘違いがありました。
それこそ沖縄が本土復帰する以前から沖縄のロック界をつくりあげてきた先輩ミュージシャンは、うちなんちゅと外国籍のハーフが多かった。だからこそハーフに生まれたからには音楽をやってやるぞ!という気持ちは、どこかにあったと思います。
最後に俺が好きで尊敬している沖縄出身のミュージシャンのひとりが、数年前に亡くなった沖縄ロック界のレジェンドとして知られる「ヒゲのかっちゃん」こと川満勝弘(かわみつ・かつひろ)さんなんです。
俺は、これからもあんなエンターテイナー性の高いミュージシャンを、目指していきたいと思っています。」

【エピローグ】
今回、私のライター人生初期にインタビューした『地獄車』のヴォーカル・下條達也氏に、バンド再結成のタイミングでインタビューするという機会を得ました。
29年前に大学生のノリから生まれた『地獄車』のサウンドは、色あせることなく新鮮かつパワフル。
ハードコアブームおよび沖縄音楽ブームという、二大ムーブメントにのった実力派バンドの風格は変わらず健在でした。
今後の展開もお見逃しなく!!

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