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沖縄初!女性落語家・金原亭杏寿〜朝ドラ女優から転身 噺家としての現在〜
高校時代にまつり会場でモデル事務所にスカウトされたのをきっかけに芸能界デビュー、ラジオ出演やTV出演を経てNHKの連続ドラマの俳優としても抜擢。
一見すると順風満帆なキャリアを築いてきたように思える経歴の彼女が、『落語』という話芸にたどり着いたのは、なぜなのか?
今回は沖縄初の女性落語家として活躍する「金原亭杏寿さん」に、男社会の落語の世界で二ツ目に昇進するまでのストーリーとこれからの展望を伺いました。
目次
一本の映画作品を見たような没入感
_(真)
私が子どもの頃は、毎週日曜にTVで『笑点』を放送していたんですね。毎週、テレビの前で祖父と一緒に観ていました。第2次落語ブームとしては、人気脚本家・宮藤官九郎が
手がけた落語をテーマにしたドラマで、大好きになったんです。当時は趣味の範囲ですが、小噺の「ねずみ取り」を勉強したりしました。
杏寿さんが落語をはじめたきっかけを教えて頂けますか?
_金原亭杏寿さん
あぁいいですね!「ねずみ」の小噺は、今も残っていますからね。
沖縄でFM沖縄の人気番組のパーソナリティーをしていた時に、当時の番組ディレクターさんが落研出身の方で「やっぱりしゃべりは落語が、とても勉強になるよ。」とすすめてもらいましたが、当時はピンと来なくて・・・その頃は「生の落語」を聞いたことがなかったからかも知れません。
タレントとしてはラジオ番組以外にもNHK沖縄のバラエティー情報番組でレギュラーをさせて頂いたり、OTV開局55周年特番 インタラクティブ生ドラマでは、ありがたくも主演を務めました。
沖縄を舞台にしたNHK連続テレビ小説でも役を頂いた経験もあります。
それらの経験を経て「お芝居もっとやりたいなぁ」という思いが強くなり上京することを
決めて、一度沖縄でのお仕事は全部卒業させてもらいました。
2016年あたりから沖縄と東京を行ったり来たりしているなかで、当時、所属した東京の事務所にお世話になっている時期に、鈴木亮平さんを輩出したという演技スクールに通いました。
そのスクールで知り合った映画監督の方が、落語が大好きで「落語はお芝居する中で、絶対見に行った方がいいよ」と言われたんです。
東京には「浅草演芸ホール」と「池袋演芸場」と上野の「鈴本演芸場」と新宿の「末広亭」という主な寄席が4つあるんですけど、忘れもしない2017年10月30日に、池袋演芸場で、その後師匠となる金原亭世之介の落語が私にとっての初めての落語でした。
_(真)
ちなみに演目は何でした?私は年末の人情話「芝浜」くらいしか知らない人間なんですけど。
_金原亭杏寿さん
金原亭世之介師匠の演じる『宮戸川』という古典落語の演目に衝撃を受けて、その世界に没入できる魅力に惹かれました。まるで一本の映画をみているようで、とても満足したんです。
落語の舞台となるいわゆる江戸の街並みは全然知らないし、京の下町に出向いた経験が殆どないのに話術だけで、世界観に入り込むことができることに驚きましたし、そんな経験は人生で初めてでした。
落語を観るきっかけになった映画監督の方が、世之介師匠と知り合いで、その日に会ってご挨拶することができたんです。
その際、「まあ、あんまり食える仕事でもないし、女性には特に厳しい。人生かけてやるなら面倒見てあげますよ」という言葉をかけて頂きました。
もうひとつ、後押しになったのは年齢的な部分があります。
うちの師匠の世之介が所属している落語協会は30歳までしか入門ができないという決まりがあります。
私は28歳の頃に師匠の落語に出会ったので、あと1ヶ月足らずで29歳になるというギリギリの年齢でした。あと1年本当に遅かったら入れなかったのです。やっぱり世之介の弟子になろうと思うと、落語協会に準じないといけませんでしたから。
実際に入門したのは、世之介師匠に初めてお会いしてから1ヶ月後でした。
落語界という縦社会で味わった苦労
_(真)
世之介師匠との運命的な出会いから女性が増えたとはいえ、男社会の落語という世界。下積み時代の大変だったエピソードを教えて頂けますか?
_金原亭杏寿さん
「落語界は縦社会なので、本当に厳しいところはありますね。よくカースト制度で成り立っていますって言うんですけど。
昔より意識も変わってきたっていうのも含めて柔らかくなっていると思いますが、うちの師匠から言われたのは、「黒いカラスも師匠が白と言えば、白です」と言わないといけないと。
そして女性だからという苦労よりも、先輩後輩関係の厳しさを感じました。
例えば、ある先輩はこうしろと言い、別の先輩は違うやり方を指示する場合、言い訳せずに対応しなければなりませんでした。
他には先輩や師匠方、一人一人のお茶の好みを覚えるのも大変でした。
温かいお茶が好きな人、冷たいお茶が好きな人、ぬるめが好きな人などさまざまで、特に「ぬるい」の加減が難しかったです。また、着物のたたみ方も師匠によって4〜5パターンあり、それぞれ覚えなければなりませんでしたし、寄席の空間に慣れることも大変でした。
私は5年3カ月で昇進しまして、今の二ツ目という位置になりました。本来は大体まあよくて、3〜4年ぐらいで昇進できるんです。自分の言い訳にもなるんですけど、出来不出来の問題ではなくて、本当に順番といいますか。私の場合、コロナ禍が前座時代にかかったことも影響しましたね。」
_(真)
女優時代とは、真逆の環境で修行されたんですね。
_金原亭杏寿さん
そうですね。沖縄でタレントとして活動している頃は、撮影中はスタッフさんが横で日傘を持ってくださったり、お弁当を用意してもらったりとか、もうなるべくもう撮影中以外は体力を使わないでいいようなありがたい環境でしたから、落語という世界は、全くの真逆でしたね(笑)。
うちの師匠から、前座のうちは基本的に表には立たないで、タレント時代の経験は一旦切り離して考えなさいっていうのは前もって言われました。
目標は「一人の落語家」として認めてもらうこと
そういった下積みを積んで晴れて二つ目に昇進された。
今後の展望や最終的に目指すところを教えていただけますか?
_金原亭杏寿さん
私は古典落語を主にやっていますが、古典落語はたくさんのベテランの師匠方がやられていて名人の音源もたくさん残っている中で、自分の噺が聞きたいと思ってもらわなきゃいけません。
女性だからとか沖縄出身だからなどという理由で、聞きに来ていただくのももちろん嬉しいんですけど、女性も社会進出していて、落語家として活躍している方もいっぱいいます。
そして、先輩方が道を切り開いて下さっている部分が多分にあります。
なので「女性落語家のなかで一番いいよね」ではなく、「落語家で一番好きなんだよね」
と言って頂けることが一番うれしいことだと思います。
そういう意味で最終的な目標は「杏寿の噺が聞きたい」と思ってもらえるような落語家になることです。
また、沖縄の昔話や組踊りなどを落語に取り入れて、沖縄での落語の広がりに貢献したいと考えています。
沖縄では有名な落語家の公演が多く、落語への関心が高まっていると思います。沖縄出身の女性落語家として、多くの方に落語に興味を持ってもらえるきっかけになればと思っています。」
【エピローグ】
沖縄初の女性噺家として注目されている金原亭杏寿さん。
インタビュー中、よどみなくまっすぐな瞳をキラキラさせて語る様子は、彼女の落語への情熱と揺るぐことない覚悟を物語っていました。
今後も沖縄出身の女性落語家として、多くの人たちに興味を持ってもらいたいと話す杏寿さん。今後の展開も追って、紹介できればと思います。
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