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写真が伝えるチリ地震津波 沖縄が津波に備えなければならない理由
2011年3月11日に発生した東日本大震災から、まもなく11年を迎えます。甚大な津波被害が発生した震災はもちろんですが、沖縄特有の津波被害を風化させないためにも、OKITIVEでは3回に渡り沖縄エリアの津波に関連した記事をご紹介します。第1回目の今回は「チリ地震津波」です。
2022年1月、南太平洋のトンガ沖で海底火山が大規模噴火し、その影響で遠く離れた沖縄にも津波が到達したのは記憶に新しいと思います。海に囲まれた沖縄は周辺地域の地震はもちろん、太平洋を隔てた地域の天災でも津波の影響を受けます。今から半世紀以上前に起きたチリ地震での津波について、当時の貴重な資料を踏まえて振り返ります。
1960年5月24日、日本から太平洋を隔てて1万8000キロ離れたチリ沖で発生した津波が押し寄せたチリ地震津波。全国で142人の犠牲者を出し、沖縄でも3人が命を落としました。
チリ地震津波を克明に写した写真が残されています。沖縄市にある諸見民芸館が所有する6枚の写真には、畑や水田が広がる集落の様子。押し寄せた波が岸壁を乗り越える様子。
そして渦巻く潮など、時間を追うように捉えられています。
撮影したのは、うるま市屋慶名で鉄工所を経営していた平安座清吉さんです。
沖縄本島中部・東海岸に位置する屋慶名には高潮対策のため石積みの護岸が整備されていましたが、押し寄せた波は高さ3メートルといわれ、家屋が流されたり、畑が水没したりする被害が出ました。
当時11歳だった清吉さんの長女の吉美さん。朝、自宅で歯を磨きながら海に目を向けると、その異変にすぐ気が付きました。「お父さん、海の水が無くなっているよ!」
「津波だっ!」清吉さんは事態を地域に知らせるため製鉄所の鉦を叩くよう指示すると、カメラを手に自宅の屋根へ。その後海に近づいた清吉さんは、溢れ出するような海の水、押し寄せる白波に、シャッターを切り続けました。
危険をおかした清吉さんはあとでみんなから叱られたそうですが、残してくれたチリ地震津波の写真は、海に囲まれた沖縄では津波に備えておかなければならないということを私たちに伝えてくれています。
執筆:佐久本 浩志
略歴
沖縄県那覇市出身。首里高校を卒業後、久留米大学へ進学し、2005年OTV(沖縄テレビ放送)に入社。2010年からアナウンサーを務める。報道デスクとして日々のニュース番組作りに携わる。
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