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OTV報道部

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津波からの高台避難を阻む米軍基地の課題

2011年3月11日に発生した東日本大震災から、今日で11年。甚大な津波被害が発生した震災はもちろんですが、沖縄特有の津波被害を風化させないためにも、OKITIVEでは3回に渡り沖縄エリアの津波に関連した記事をご紹介します。第3回目の今回は、津波からの避難経路上にある米軍基地の存在です。

住宅街が広がる沖縄本島の西海岸は、地域の大半が海抜0~3メートルの低地です。津波が発生した場合、一刻も早く高台を目指さなければなりませんが、2011年3月の東日本大震災は思わぬ課題を浮かび上がらせました。

住宅街のある沿岸部は浸水が想定されるが、高台に存在するのは・・・
住宅街のある沿岸部は浸水が想定されるが、高台に存在するのは・・・

国内の米軍軍専用施設の7割が集中する沖縄には、普天間基地や嘉手納基地など米軍基地が内陸の高台を中心に各地に存在しています。

海岸近くの住民が津波から避難するため高台までのルートは、広大な基地と基地の間を縫うようにして伸びる道路が主な避難ルートとなっています。

南北にはしる国道58号線に沿って米軍基地のフェンスが続く
南北にはしる国道58号線に沿って米軍基地のフェンスが続く

宜野湾市や北谷町では震災当日、高台へ向かう交差点や道路で大渋滞が発生し、住民の避難は困難な状態だったといいます。

このため震災後、西海岸の住民たちはぐるっと迂回することなく真っすぐ高台へ避難するため、フェンスに囲まれた基地の中を通れないかと、行政に対し災害時にはゲートを開放して欲しいと声を上げたのです。

高台へ向かう道は国道との交差点に 震災当日は大渋滞が起きた
高台へ向かう道は国道との交差点に 震災当日は大渋滞が起きた

宜野湾市と北谷町が米軍と協議を続けた結果、翌年11月5日の津波防災の日に津波警報時には普天間基地とキャンプ・フォスターの基地内を通行できるよう協定を結びました。

これにより万が一の際は、普天間基地とキャンプ・フォスターの3つのゲートが解放され、沿岸部の住民を始め観光客などが基地内から高台へ避難することができるようになったのです。

米軍基地のゲート前には津波警報時に避難できること示す看板が設置された
米軍基地のゲート前には津波警報時に避難できること示す看板が設置された

こうした動きは米軍基地が所在する他の自治体にも広がりました。沖縄県によりますと、2022年2月現在、北谷町が嘉手納基地とも基地内通行で合意したほか、浦添市がキャンプ・キンザーと、キャンプ・ハンセンを抱える金武町も緊急時のゲート開放で協定を結びました。

協定にもとづき基地内を通る避難訓練は各地で実施されてきた。
協定にもとづき基地内を通る避難訓練は各地で実施されてきた。

米軍基地の1枚のフェンスが防災上の大きな壁となっている沖縄。風穴を開けた地域住民の声は、いつくるかわからない津波に備える上で大きな意義を持っています。

東日本大震災後に進んだ各地の海抜表示 宜野湾市
東日本大震災後に進んだ各地の海抜表示 宜野湾市
2012年11月 宜野湾市と北谷町が災害時の基地内通行で米軍と協定締結
2012年11月 宜野湾市と北谷町が災害時の基地内通行で米軍と協定締結

執筆:佐久本 浩志
略歴
沖縄県那覇市出身。首里高校を卒業後、久留米大学へ進学し、2005年OTV(沖縄テレビ放送)に入社。2010年からアナウンサーを務める。報道デスクとして日々のニュース番組作りに携わる。

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