公開日
OKITIVE編集部

OKITIVE編集部

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

「Ohana(オハナ)」とは、広い意味での「家族」を指すハワイの言葉。

ウチナーンチュが海を越え移民として初めてハワイに渡ったのは今から125年前の1900年12月。貧しい生活から抜け出すため異国の地へ渡ることを決意した1世たちは、文化も言葉も全く違う環境の中、海の向こうの故郷を想い働き続けた。

あれから125年。沖縄テレビではハワイに根付いた沖縄文化を継承するイベント“オキナワン・フェスティバル”や、現地で暮らす県系人の姿を取材。番組を通して、海を越えてつながるウチナーンチュの”オハナシ”からハワイと沖縄の絆を描く。

ハワイと沖縄をつなぐ現在の取り組み

ハワイで開催された「オキナワン・フェスティバル」

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

2025年で43回を数えるオキナワン・フェスティバル。ハワイに住む沖縄出身者やその子孫たちで構成するハワイ沖縄連合会(HUOA)が主催しているイベントだ。

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

オキナワン・フェスティバルは沖縄の文化を保存、継承するために行われているもので、琉球舞踊や三線、エイサーの舞台をはじめ沖縄そばやサーターアンダギーなどの郷土料理も楽しめる。125周年の節目となった今年、コロナ禍で盛大に祝えなかった120周年の分も含めこれまでより盛大に開催され、沖縄からも玉城デニー知事をはじめ多くの来場者が訪れた。

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

フェスティバルを運営するのはHUOAを中心とするボランティア。今年は4000人を超えるボランティアが集まった。中でもイベントの定番となっているサーターアンダギーは、冷房もない屋外でボランティアの方々が休む間もなくせっせと揚げていた。
ここでは「アンダギー」という愛称で親しまれ、2日間で約25万個も売れるほど大人気だという。実際に取材班も味見をさせてもらったが、沖縄のサーターアンダギーよりカリッとした食感で、ほんのり甘く油っぽさもない、何個でも食べられそうな美味しさだった。

圧巻のカチャーシーに涙 心が一つになった瞬間「アロハパーティー」

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

2日間のオキナワン・フェスティバルが無事終了した翌日、HUOAの拠点であるハワイ沖縄センターでは、アロハパーティーが開かれた。毎年フェスティバルの成功を祝う場となっている。ハワイに住むウチナーンチュや沖縄から来たウチナーンチュが顔を合わせ、料理やドリンクを楽しみながら今年も一大イベントが終わったことの喜びを分かち合った。

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

楽しい時間はあっという間に過ぎ、そろそろ会もお開き…そんな中、最後を飾るのはやっぱり“カチャーシー”だった。指笛と三線の音色が流れるとみんな自然と立ち上がり、カチャーシーを踊る姿は圧巻だった。言葉の壁を越えウチナーンチュの心がひとつになる一部始終を目撃し、故郷・沖縄を思う気持ちに胸がいっぱいになった。

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~
イベント会場での取材の様子

つながる絆 若い世代の交流「交換留学」

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

今年は沖縄県とハワイ州が姉妹都市提携をして40年の節目でもある。国際社会に貢献する人材の育成を目指しスタートした高校生の交流事業も今年で40年を迎え、今回はハワイの高校生15人が沖縄でホームステイを体験した。

ホームステイ先ではタコライスを食べたり一緒にゲームをしたりと交流を深めた生徒たち。
身振り手振りと短い単語で一生懸命コミュニケーションをとり、互いの国の文化や言葉を教え合っていた。最後には「沖縄にも家族ができた」と再会を誓う姿を見て、ハワイと沖縄の絆がこうして次の世代にも受け継がれていることに胸が熱くなった。そして世界のウチナーンチュネットワークが教育の分野でも大きな役割を果たしていることを実感した瞬間でもあった。

ハワイで沖縄の古典音楽を広めたい ケンテン王堂さん

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~
ケンテン王堂さん

オキナワン・フェスティバルを通して、ハワイではここまで沖縄文化が根付いているのだと驚かされた。中でも安冨祖流朝一会は、ハワイで三線を学ぶ約100人が舞台に立ち演奏を披露した。
琉球古典音楽の人間国宝、照喜名朝一を中心に発足した安冨祖流朝一会。県系4世のケンテン王堂さんは1993年に県費留学生として沖縄県立芸大に入学し、照喜名朝一師範のもとで芸を磨いた。わずか3年で教師免許を取得しハワイで三線を教えてきたが、現在は仕事の関係で沖縄にいる。そのため、沖縄で三線教室を開きながらハワイにいる弟子のためリモートで三線を教えているそうだ。
オキナワン・フェスティバルで毎年演奏を披露しているケンテンさん。その夢を聞いた。「みんなが自分の研究所を開いてもっと弟子が増えて、次の時代も沖縄の古典音楽がハワイや外国で続いていくことが僕の夢」。沖縄にいると、身近すぎるがゆえにあまり意識することがない伝統芸能の大切さ。ケンテンさんの言葉を聞いて、はっと気づかされた。

慣れない土地での取材に奔走

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~

取材班全員が初めてのハワイ。土地勘もなくマップを見ないと今自分がどこにいるのかさえ分からなくなるため、移動中は常にスマートフォンとモバイルルーターが手放せなかった。また現地の様子をニュースでも伝えるべく、取材の合間に映像データを沖縄に送る作業も行った。

ハワイにも広がる沖縄の絆。125年目の「オハナシ」 ~ハワイ移民125周年番組の取材後記~
お世話になった「ジッピーズ」の料理

取材時間が限られているため、毎日毎日ハワイ中を駆け回り夜ご飯の時間は22時過ぎ…多くのレストランが閉店している中、救世主だったのが深夜まで開いているハワイのファミリーレストラン「ジッピーズ」。人気のオリジナルチリソースは、甘みの中にほどよいスパイシーさとまろやかさがあり、疲れも吹き飛ぶ美味しさだった。取材班のお腹も心も満たしてくれたジッピーズ・レストラン、なんと創業者はウチナーンチュだったのだ。ここでもハワイのウチナーンチュの活躍を知りなんだか誇らしい気持ちになった。

取材を終えて・・・

ハワイのウチナーンチュ社会が5世、6世へと受け継がれ世代交代が進んでいる中、1世の苦労を知る2世や3世の方々はその歴史を忘れてはいけないと口を揃える。想像を遥かに超える過酷さから「1世の“犠牲”」と表現するウチナーンチュもいるほどだった。取材ではこうした苦難の歴史を沢山聞くことができた。さらに1世たちはハワイで稼いだお金を沖縄の家族や親戚に仕送りしたり、船で豚を届け戦後沖縄の食糧難を救ったりと沖縄社会の支えとなってきたことも知った。
ハワイにウチナーンチュが渡って125年。海を越えたウチナーンチュネットワークは今の沖縄の文化やビジネス、教育などの発展にもつながっていて、本番組ではこうしたハワイと沖縄の絆を実感できる内容となっている。沖縄県内の方はテレビで、県外の方も見逃し配信にて、ハワイと沖縄の「オハナシ」を、ぜひご覧ください。

制作協力:楽天モバイル

OKITIVE公式インスタグラムはこちら!
OKITIVE公式インスタグラムはこちら!

あわせて読みたい記事

あなたへおすすめ!