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ゴミ拾いは、日常の小さな初詣! 初詣とゴミ拾いは実は同じ構造をしている?by ゴミ拾いダイバー東真七水
海底に沈んだゴミをスキューバダイビングで回収しながら、「ゴミ拾い」をマリンアクティビティとして広める活動をしています。
新しい一年を迎える際、ふと感じることがあります。
初詣とゴミ拾いって、実は似ているのでは…?ということ。
今回はそんな気づきから、その理由を私なりの視点でお話ししたいと思います。
目次
そもそも、なぜ人は初詣に行くのか?
年始に初詣へ行く理由は人それぞれです。
・お願いごとをしたい
・一年を気持ちよくスタートしたい
・心を整えたい
あるいは、一年間無事に過ごせたことへの「ありがとう」を伝えたい、
そんな気持ちで足を運ぶ方も多いのではないでしょうか。
こうして並べてみると、これらの感覚は、ゴミ拾いととてもよく似ています。
神道における「整える」という考え方
初詣で神社に足を踏み入れると、まず目に入るのは、掃き清められた境内です。
ちなみに神社が信仰の中心とする宗教は神道。
神道は日本古来の信仰で、自然崇拝や祖先崇拝を基盤とし、
山や海、森、岩、風といった森羅万象すべてに神が宿ると考えます。
自然の恵みに感謝し、自然と共生する心を大切にする文化であり、
神社を囲む「鎮守の森」はその思想を象徴する存在です。
そんな神道では、場を整え、穢れを祓い、気の流れをよくすることをとても大切にしてきました。
その象徴的な行為が「掃除」です。
ゴミ拾いも、現代の「清め」
ゴミ拾いも同じ役割を持っています。
海でも街でも、ひとつゴミを拾うだけで、その場所の空気が少し明るくなり、不思議と自分の気持ちもすっと軽くなります。
その感覚は、初詣で胸の奥に静かな清々しさが生まれる瞬間と、とてもよく似ています。
ゴミ拾いは、自分の手で流れを良くする行為なのだと私は感じています。
ゴミ拾いは「徳を積む」という言い伝え
日本には古くから「徳を積む」という考え方があります。 特に、誰にも知られずに行う善行は「陰徳」と呼ばれ、とても尊いものとされてきました。 落ちた運やご縁を拾い上げる象徴として、ゴミ拾いは昔から縁起の良い行いと言われています。
褒められない、見返りを求めない、
でも社会は確実に良くなる
ゴミ拾いは、まさに徳を積む行為の代表です。
「ありがとう」の共通点
そもそも私たちは日常の中で、 身の回りの自然や環境に対して「ありがとう」を伝える機会って、意外と少ないですよね。
海、植物、空気、街、道…
たくさんの恵みを受け取りながら生きているのに、それを改めて意識する場面はあまりありません。
初詣は、そんな日常の中で数少ない一年間無事に過ごせたことへの感謝をきちんと伝える時間だと思います。
そしてゴミ拾いも実は同じです。
ゴミをひとつ拾うという行動は、言葉にしなくても、
「この場所を使わせてくれてありがとう」 「いつも癒しをくれてありがとう」と、自然や環境に感謝を伝える行為そのものだと私は感じています。
お願いごとをするだけではなく、感謝の気持ちを伝えることが、 初詣とゴミ拾いに共通している、とても大切な目的なのです。
ゴミ拾いは、日常の小さな初詣
神社に行かなくても、お守りを持たなくても、 私たちは日常の中で、何度でも心を整え直すことができます。 それが、ゴミ拾いです。
「一年の計は元旦にあり」ということわざがありますが、 2026年の元旦に、初詣とセットでゴミをひとつ拾ってみてはいかがでしょうか。
その小さな一歩が、より一層いい一年につながっていくかもしれません♩
今年もこのコラムをたくさん読んでいただき、本当にありがとうございました。
海のこと、ゴミ拾いのこと、そして日々の小さな気づきを、皆さんと共有できたことをとても嬉しく思っています。
どうぞ、あたたかく穏やかな年末をお過ごしください。 そして、良いお年をお迎えください。
来年もまた、海やゴミ拾いからの気づきをお届けします。
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