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当銘 寿夫

当銘 寿夫

沖縄民放3局が開局以来、初の試み。戦後80年”合同ドキュメンタリー上映会”沖縄の歩みを映像の力で振り返る

沖縄民放3局が初の合同ドキュメンタリー上映会 戦後の沖縄の歩みを映像の力で振り返る

2025年12月20日、21日の両日、沖縄テレビ、琉球放送、琉球朝日放送の3局が、それぞれの局に眠るドキュメンタリー作品を持ち寄り、スクリーンで上映する「戦後80年 沖縄民放三局合同ドキュメンタリー上映会」が那覇市の桜坂劇場で開かれました。沖縄県内の民放3局合同でドキュメンタリー上映会を開くのは各局の開局以来、初の試みです。上映後には、制作者や関係者が登壇し、取材の裏側や作品に込めた思いを語りました。上映会当日の様子を時系列に沿って、リポートします。

目次

12月20日 「アーカイブを、いま届け直す」狙い

沖縄民放3局が初の合同ドキュメンタリー上映会 戦後の沖縄の歩みを映像の力で振り返る

初日の司会を務めたのは、元琉球朝日放送アナウンサーでフリーの宮城さつきさん。宮城さんは、3局が開局以来、沖縄戦や基地問題、政治、そして島に根付く文化まで「戦後の沖縄」を一貫して記録し、放送してきたことを紹介しました。そうした番組はアーカイブとして大切に保管されている一方、普段は過去作に触れる機会が多くありません。宮城さんは「選りすぐりのドキュメンタリーを通じて、沖縄の戦後史を深く見つめ直す一日にしていただければと思います」と呼びかけました。

第1プログラム 終戦後も終わらない「記憶」と「核」

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第1プログラムは、1990年代の2作品です。沖縄テレビ「悲風に吹かれて ~兵士は50年待っていた~」(1995年)は、南風原町で見つかった兵士の遺骨と万年筆を手がかりに、持ち主の遺族を探していく過程を追います。戦後50年当時でも、多くの遺族が戦没者の遺骨、遺品が帰って来ることを待ちわびていることが伝わる作品でした。

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続いて上映された琉球放送「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス ~そして核の密約は交わされた~」(1997年)は、沖縄返還をめぐる日米交渉の裏で何が起きていたのかを、関係者の証言と佐藤栄作首相の密使として米国と交渉していた若泉敬氏の資料でたどります。「核」をめぐる取り決めが、沖縄と日本の戦後にどう影を落としてきたのかを問い直しました。

「他策〜」制作者・具志堅さん 「交渉役・若泉氏に今の日本の姿を問いたい」

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第1プログラム上映後には、「他策ナカリシヲ〜」でディレクターを務めた具志堅勝也さんを壇上に招き、宮城さんが作品を見返してみての感想を尋ねました。具志堅さんは、若泉敬氏の言葉を振り返りながらこう語りました。
「沖縄復帰の交渉に向けて奔走した若泉氏はその後、日本が拝金主義に走り、安全保障を顧みない国になっていることを憂いていました。次の世代に向けて『あなた方が知恵を出して、核のない平和な世界を作ってほしい。あなた方だったらそれができるので、志を持ってあたってほしい』と講演で語りかけていました。沖縄が置かれている状況は番組制作時よりますます悪くなっています。若泉氏がご存命だったら聞きたいです。『今の日本社会を見て、どう思いますか』と」

第2プログラム 「島の選択」を20年のスパンで見比べる

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夕方の第2プログラムは、自衛隊をめぐる2作品が並びました。琉球放送「消えた自衛隊誘致~小さな島の選択~」(2005年)は、伊良部町議会(当時)が自衛隊誘致を決議し、住民の反発で覆されるまでの激動を記録します。経済振興策という希望と、「説明のないまま決まること」への住民感情がぶつかった現場が描かれました。

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琉球朝日放送「誰のために島を守る ~自衛隊配備 その先に~」(2024年)は、南西地域で自衛隊の存在感が増す現在を取材し、「守る」手段は軍備強化だけなのかを問い直します。島に暮らし続けること自体が「守る」ことにつながるのではないか——作品は、別の視点も提示しました。

嘉手川さん×塚崎さんトーク 自衛隊誘致の「前史」と「続編」 変わる島の選択

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第2プログラム後のトークセッションには、琉球放送で「消えた自衛隊誘致」を手がけた嘉手川由紀子さんと、琉球朝日放送で「誰のために島を守る」を手がけた塚崎昇平さんが登壇しました。議論の軸になったのは、2本の作品の“つながり”です。嘉手川さんは、20年前に伊良部町で自衛隊誘致が実現していたら「伊良部町が『誰のために島を守る』で紹介された与那国町のような状況になっていたかもしれない」と振り返り、当時の空気と現在の距離感の違いを語りました。
塚崎さんは、嘉手川さんの作品を「(自衛隊南西シフトの)前史」として見たことで、配備が進む流れの連続性がよりはっきりしたと応じます。取材の壁や言葉選びの工夫も含め、ドキュメンタリー作品内で登場する町長や議員を「単純な善悪の構図」で描かないために何をしてきたのかが、舞台上で共有されました。

12月21日 第3プログラム 沖縄戦映像の“読み解き”と、辺野古の現在

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2日目の第3プログラムは、沖縄戦の記憶と基地問題を、異なる角度から見つめる2本でした。沖縄テレビ「むかしむかしこの島で」(2005年)は、米軍カメラマンが撮影した沖縄戦映像を、ただの資料として扱わず、映像が呼び起こす記憶や言葉に耳を澄ませます。「映像は何を語っているのか」を問い続ける構成が特徴です。

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琉球朝日放送「裂かれる海 ~辺野古 動き出した基地建設~」(2014年)は、辺野古の現場に立つ人々を追い、抗議と生活、連帯と分断が同時に起きる現実を映します。基地建設が進む中で、地域住民の日常がどう揺らぐのかが伝わってきました。

山里さん×島袋さんトーク 「怒り」だけにしない伝え方

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2日目の司会の小波津正光さんがまず引き出したのは、「テレビの作品を映画館で見る」手応えでした。「むかしむかしこの島で」のディレクターを務めた元沖縄テレビの山里孫存さんは、劇場上映を「箱の中に閉じ込めた映像を開放する」体験だと語り、観客の反応をその場で受け取れる面白さを強調しました。
「裂かれる海」でディレクターを担当したうちの一人、島袋夏子さんには「制作において心がけたこと」を尋ねました。島袋さんは、強い言葉で怒りをぶつけるだけでは届かない場合があると述べ、対立をあおらず、分断を強いられている沖縄県民が置かれている状況を伝えるよう努力したと説明しました。

第4プログラム 「戦争を止められなかった」責任と、「戦後も続く」責任

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最後の第4プログラムは、戦争と戦後を一本の線で考えさせる組み合わせでした。琉球放送「遅すぎた聖断 ~検証・沖縄戦への道~」(1988年)は、敗戦が避けられない状況でも戦争を止められなかった背景を、資料と証言で検証します。決断が遅れたことで、沖縄戦の被害がどこまで広がったのか。作品は、歴史の分岐点を「なぜ」で追い続けます。

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沖縄テレビ「遺骨 ~声なき声をきくガマフヤー~」(2021年)は、遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松さんの活動を軸に、戦後も終わらない「遺骨が返ってくるのを待つ時間」を映し出しました。土の中に残るものを拾い上げる作業が、今の社会に何を問うのかが迫ってきます。

仲里さん×松本さんトーク 時間をかけて描くことで伝わる「責任」

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第4プログラム後のトークには、「遅すぎた聖断」でディレクターを務めた元琉球放送の仲里雅之さんと、「遺骨」でディレクターを務めた沖縄テレビの松本早織さんが登壇しました。
小波津さんは仲里さんに戦争責任を正面のテーマに据えた原動力を尋ねました。仲里さんは幼少期を過ごした宜野湾市嘉数に沖縄戦による戦没者の多くの遺骨があった原風景を振り返り、「やらなきゃいけない」と背中を押されたと語りました。
松本さんは、ニュースの短い枠では伝え切れない背景があること、そして取材対象の言葉が「過激」に見えてしまう危うさも含めて、時間をかけて描く必要があったと説明します。2本の作品を通して見ることで、戦争を起こした「責任」と、戦没者の遺骨を収集して家族に返すことの「責任」がつながっていることが伝わりました。

イベント発案した若手社員 「各社の変わらぬ沖縄への眼差し感じた」

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沖縄県内の民放3局合同のドキュメンタリー上映会という各局にとって初めての企画を発案したのは琉球朝日放送の若手社員、町龍太郎さんでした。町さんは自社内に並ぶドキュメンタリー作品のアーカイブを見て「開局30年の自社にこれだけの作品があるということは、沖縄テレビと琉球放送には2倍ぐらいの量があるということか」と思い立ち、両社の仲の良い社員に相談し、実現にこぎつけたと言います。
上映会後、町さんは「劇場の大画面で見ると番組の力がより解放されて、さらによく見えたと思います」と手応えを口にします。「それぞれ制作した時期も違えば、作って何十年も後にこんな風に他社の作品と一緒に上映されるということも想定されていないはずなんですが、どうしてもつながりを感じずにはいられませんでした。どの沖縄のメディアも沖縄の歴史に対する眼差しが変わっていないから、どんな番組を持ってきても重なる部分があるんだなと思いました」。
各社が持つ映像アーカイブの凄みと変わらぬ沖縄への眼差し―。初の沖縄民放3局合同ドキュメンタリー上映会はそのことがありありと伝わる2日間でした。

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