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当銘 寿夫

当銘 寿夫

なぜ戦争を止めることができなかったのか…75年以上が経ってもなお、沖縄の土の下に眠る戦没者の遺骨収集を続ける…戦後80年記録

ドキュメンタリー通し考える「戦争・戦後の責任」 制作者が明かす舞台裏

2025年12月20日、21日の両日、那覇市の桜坂劇場で開かれた「戦後80年 沖縄民放三局合同ドキュメンタリー上映会」。2日目のトークセッション後編では、沖縄戦を止めることができなかった責任と戦没者の遺骨に関する責任をそれぞれ問う番組を軸に議論が交わされました。司会は沖縄のお笑い芸人、小波津正光さん。登壇したのは、琉球放送「遅すぎた聖断 〜検証・沖縄戦への道〜」(1988年)のディレクター、仲里雅之さんと、沖縄テレビ「遺骨 〜声なき声をきくガマフヤー〜」(2021年)のディレクター、松本早織さんです。

目次

2本の番組が突きつける責任

ドキュメンタリー通し考える「戦争・戦後の責任」 制作者が明かす舞台裏

「遅すぎた聖断 ~検証・沖縄戦への道~」は敗戦が避けられない状況にありながら、なぜ戦争を止めることができなかったのか、戦後の資料と証言をもとに、沖縄戦へと突き進んだ国家の構造を問い直す重厚な記録です。

ドキュメンタリー通し考える「戦争・戦後の責任」 制作者が明かす舞台裏

もう1本の「遺骨 〜声なき声をきくガマフヤー〜」は戦後75年以上が経ってもなお、沖縄の土の下に眠る戦没者の遺骨収集をボランティアで続ける具志堅隆松さんや、いまだ帰らぬ肉親を待ち続ける遺族の切実な思いを丁寧に描き出しました。

ながら視聴とは異なるスクリーン鑑賞の緊張感

ドキュメンタリー通し考える「戦争・戦後の責任」 制作者が明かす舞台裏

司会の小波津さんは「スクリーンで見て、どうでしたか」という率直な問いから始めました。
仲里さんがしみじみと語り始めました。「1988年の作品で、その後に少し見る機会もありましたが、だいぶ期間が空いていたので、初めて見るような感じで、しかも大きなスクリーンで見ることができました。企画してくれた後輩たちに感謝したいと思います」
松本さんも言葉を紡ぎます。「普段、テレビで流れているときは、家事をしながら見ているかもしれないですが、今日は見るために時間を割いてここに来て、じっくり見ていただいた。その姿を拝見して、緊張しながらもほっとしました」

踏み込んだ表現の原動力は戦後の原風景

ドキュメンタリー通し考える「戦争・戦後の責任」 制作者が明かす舞台裏

小波津さんが特に驚いたのは、「遅すぎた〜」の表現の踏み込み具合でした。沖縄戦の遺体をはっきり映したり、昭和天皇の戦争責任を正面から扱ったりする番組は「今のテレビではなかなか見られないのでは」と率直に切り出します。
仲里さんは「むしろ、今の方ができる環境ですよ」と返しました。1988年当時は昭和天皇が在位中で、取材先から「本当に放送するの?」と言われるほど空気が重かったこと、重体報道から続く自粛ムードの中、むしろ「やらなきゃいけない」と自分を突き動かしたことを明かしました。
そして、話は仲里さん自身の原点に移ります。生まれ育った宜野湾市嘉数では沖縄戦で亡くなった方の遺骨が多く出ていたこと、家族が戦争を「語らなかった」ことが印象的だったと言います。だからこそ「どうして沖縄が戦争に巻き込まれたのか」「なぜ止められなかったのか」を知りたくなり、それが番組制作のきっかけになった、と語りました。

「伝えたいのに、伝わらない」 報道現場のもどかしさから

ドキュメンタリー通し考える「戦争・戦後の責任」 制作者が明かす舞台裏

小波津さんは次に、松本さんへ問いを向けます。戦争から長い時間がたち、直接の体験者に出会う機会が限られる中、具志堅さんを追う原動力は何だったのか。
松本さんが語った出発点は、ニュース取材の現場でした。具志堅さんのハンガーストライキを取材し、丁寧に説明を受けても、ニュースでは時間の制約のなかで「切り取る」しかない。その切り取り方によっては、言葉が過激に聞こえたり、一番伝えたい部分が届かなかったりするのではないか。さらに、具志堅さんが積み重ねてきた約40年の背景を知らないと、若い世代には「腹に落ちてこない」かもしれない。そうした問題意識が、番組づくりの背中を押したといいます。

「最後」と決めた取材 生んだ言葉の重み

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小波津さんは「遺骨」の中で、沖縄戦で母を亡くした男性が重い口を開いたインタビューシーンについて「あの場面、すごかったですね。あの空気感はどうやって生まれたんですか」と深掘りしました。
松本さんは取材の舞台裏を振り返ります。 「ハンガーストライキをしている具志堅さんを訪ねたあの沖縄戦を体験された男性をどうしても取材して、語ってもらいたいと思っていました。取材を受けていただくまで何度もお願いして、そのたびに断られていた方だったんです。番組の納品ギリギリ、これが本当に最後のチャンスだと決めて取材に行ったとき、やっとお話ししてくれました。カメラマンを連れて行った私の必死さが、もしかしたら伝わったのかもしれません。私たちがどんなに原稿を書くよりも、あの言葉と、映像、音。テレビの一番の強みは、やはりそこにあるんだと確信した瞬間でした」
松本さんは放送後のエピソードも付け加えました。 「(放送されたのを機に)ご本人は『孫たちがいつか興味を持った時のために、自分の気持ちを書き残しておこうと思った』と語ってくれました」

昭和天皇のセリフが無言だったわけ

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議論が深まる中、小波津さんは演出面にも踏み込みます。「会議録を再現する際、昭和天皇のセリフのところ、(ナレーションを入れず)無言でしたよね」と気づきを共有すると、仲里さんは「あれは意図的です」と説明しました。
在位中の天皇の「声」を誰かに語らせることや呼称をどうするかなど、番組が放送されるまでにいくつもの議論があったことを、仲里さんは明かします。

映像がつくる「次の学び」と、届き方の違い

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松本さんは、番組放送後にあったエピソードも紹介しました。番組を見た県内の高校生が、沖縄戦は学んできたのに「戦後の遺骨収集」には関心がなかったと気づき、総合学習のテーマに選び、具志堅さんの話を聞きに行ったそうです。「関心がある人だけじゃなく、たまたまテレビ画面がついていて、見てみたら意外と面白かったという形で届けることができるのもテレビの強みだと思いました」

「入場料、取れるよ」 ドキュメンタリー番組の今後

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終盤、小波津さんは「制作者のトークショーとドキュメンタリー上映のセットなら入場料もらえると思いますよ」と提言しました。「テレビや映画を見て、みんな、感想をしゃべりたいじゃないですか」
戦争の記憶が薄れていくのではなく、届き方が変わるだけだとしたら。私たちは、どんな場で、どんな方法で、次の世代へ手渡していけばいいのか。そのヒントとなるような2日間のイベントでした。

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