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結成23年!単独ライブ10年目!GUSUKUROOK2015から“生き様そのものを声にする”「Shaolong To The Sky」Vo.魂 独占インタビュー
沖縄のロック・オルタナティブシーンにおいて、“生き様そのものを声にする”タイプのフロントマン、Shaolong To The Sky_Vo.魂さん!
「Shaolong To The Sky」は、沖縄出身のスリーピースロックバンド。
ジャンル的にはオルタナティブロックを軸にしつつ、感情の振り切れたボーカル、緊張感のある演奏、内面性の強い歌詞が特徴です。
ライブ重視・現場主義で評価を積み上げてきた彼らは、派手なメディア露出よりも「観た人の記憶に残るライブ」で支持を得てきました。
結成から23年経過した今も変化し続けている「Shaolong To The Sky」のヴォーカル・魂さんに、音楽に目覚めたきっかけから現在までを伺いました。
目次
嘘に怒り、真実を抱きしめろ〜コザで育った少年と、ロックの原風景〜
Shaolong To The Skyのボーカル・魂(當山貴史)を語るうえで、避けて通れないのが「場所」の話だ。生まれは北中城だが、感覚としてはずっとコザで育ってきたという。
「学校はコザ中でしたし、この辺は小さい頃からロックスターが普通にいる環境だったんですよ。運動会にもロン毛のお兄ちゃんたちがいる。紫やアイランドのメンバーも身近にいたし、母親の同級生がロックスター、なんてことも普通でした」
幼い頃から“特別なもの”ではなく、日常の延長線上にロックがあった。音楽をやることに対して、両親から反対された記憶もない。
「やめるのも才能だぞ、って親父に言われたのは30歳くらいの時ですね。でもその頃、ちょうどShaolongができて、感触も悪くなかった。だったら、やめずにいこうって思ったんです」
結果的に、その選択が30年近く続く音楽人生につながっていく。
音楽との出会いは、近所のお兄ちゃんたちからだった。
小学5年生の頃、近所の兄貴分たちが聴いていた洋楽を、カセットテープにダビングしてもらったのがすべての始まりでした。
マドンナ、シンディ・ローパーをはじめ1985年のアフリカ飢餓救済を目的としたチャリティソング「We Are The World」!そこに混じって、Quiet RiotやMötley Crüe(モトリークルー)といったLAメタルが無造作に詰め込まれていました。
当時はジャンルの区別も分からないまま、ただ「かっこいい」という感覚だけで音楽にのめり込んでいきましたね。
テレビ越しに受けた“ロックの洗礼”
それから小学生の終わり頃、テレビ番組「世界紅白」で佐野元春、LOUDNESSといったアーティストに出会うことになります。
普段はテレビに出ない音楽が放つ熱量に強く惹かれ、佐野元春のテープを擦り切れるほど聴きました。
そして中学2年生、「夜のヒットスタジオ」に出演したブルーハーツを観た瞬間、脳裏に稲妻が走ったんですよ。
「衝撃でした。次の日から学校中がブルーハーツの話題で、廊下を跳ねているみたいな感じで」この経験が、「バンドをやる」という意思を決定的なものにしました。
15歳、最初のバンド結成
高校に進学すると、BOØWY、BUCK-TICK、Xといった時代のうねりの中で、15歳にして初めてのバンドを結成する。BOØWYのカバーバンド「ダークネス」を結成。
技量に見合った曲から始める、実直なスタートだった。
この「ダークネス」が、後のすべての起点となります。
高校卒業後、家業である動物病院を継ぐため大学進学を目指すも現役合格は叶わず、福岡で予備校生活を送ることになります。
しかし予備校生活は、自由で音楽的刺激に満ちた場所を手に入れた感じでした。
Nirvana、Red Hot Chili Peppers、国内ではBLANKEY JET CITY。寮生活の中で、CDを買い漁り、音楽の世界は一気に拡張していく感覚がありました。
結果的に四浪。4年目で沖縄に戻るが、そこには強い挫折感もありました。
そんな中、高校時代の同級生でアメリカ帰りの友人「おいちゃん」から声がかかる。メロコアバンドのライブで、助っ人ボーカルをやってくれないか、と。
その経験が、次の扉を開きます。
「ギターで曲でも作ったら?」
その一言で、初めて作曲に挑戦。自主バンドを結成し、約1年間活動することになります。
AngerFrom Ball誕生、そして初CDリリース
やがて友人のバンドが活動終了し、メンバーが合流。新たに結成されたのが「AngerFrom Ball」だった。
1997年、キャリア初のCDリリース。当時、地元沖縄のストリートカルチャーシーンを盛り上げていた伝説的な雑誌「ハンズ」の表紙にも掲載され、実務的な音楽キャリアの起点となりました。
同年、第一回フジロックフェスティバルを観客として体験。Rage Against the Machine、Red Hot Chili Peppers、Foo Fighters――かつてカバーしていたバンドを“本物”として目の当たりにし、創作への確信は決定的なものとなります。
「タマシイ」という名前が生まれた夜。
「タマシイ」という名は、意図して生まれたものではありませんでした。
予備校時代に通っていたスタジオ「Power Station」でのリハーサル後、スタジオオーナーのスティーブにこう聞かれました。
「君らのバンド名は?」
まだ名前が決まっていなかったその場で、遊びに来ていた友人がふと口にした言葉――「タマシイ」。
バンド名としては採用されなかったが、助っ人としてライブに出る際の個人名として使うことにした。
それから約30年。「タマシイ」は、偶然から生まれ、音楽人生と共に定着していきます。
「絶頂VELVET」は、エクスタシーではなく“怒り”から生まれた
Shaolong To The Skyの代表曲の一つであり、映画のイメージとも強く結びついて語られる楽曲「絶頂VELVET(The Zeccio Velvet)」。多くのリスナーがカタルシスや高揚感を想像するこのタイトルだが、魂ははっきりと否定する。
「エクスタシーじゃないんですよ。あれは完全にアングリー。怒りの歌です」
制作当時、身近にいた人物がやたらと噂話を持ち込み、事実かどうかも分からない話を広げていく人物だったという。
「嘘をついていくと、どんどん自分の首を絞めていくじゃないですか。そいつにも、狼少年になるぞ、って何度も言ったんです。結局どこかで人を裏切るようなことをすることになる。」
その怒りを、魂は音楽に変換しました。
「君は焦燥。僕は絶頂。焦って嘘をつくより、馬鹿でもいいから真実を抱きしめろ、っていうメッセージです。~♪抱きしめればいいだけ 僕は絶頂、っていう歌詞は、そこから出てきました」
自身も過去には失敗や愚かな選択を重ねてきた。しかし、それでも笑っていられる馬鹿でいたい。だからこそ、嘘だけは許せなかった。
「絶頂VELVET」は、魂自身の過去と怒り、そして覚悟が凝縮された一曲なのだ。
AngerFrom Ball と Shaolong の融合
サウンド面でも「絶頂VELVET」は転換点だったという。
「AngerFrom Ballの頃から、英語っぽい感覚でやってきた部分があって。それとShaolongを融合させたかったんです。優しい歌だけじゃなくて、ドーンと行く曲が欲しかった」
結果として生まれたのが、シャウトをかましながらも、どこか大きく包み込むような楽曲だった。
「“絶頂VELVETのシャウトをかました”って感覚ですね。あれで、Shaolongのイメージが固まったと言われることも多いです」
映画で使われたことによって、楽曲はさらに多くの人の耳に届いたが、もともとはタイアップ前に完成していた曲だったというのも象徴的だ。
トリを取るために、続けてきた10年
Shaolong To The Skyは、10年以上にわたり年に一度のワンマンライブを続けている。
「イベントを主催すると、どんな大物ゲストがいても、自分たちが最後のトリを取らないといけない。その時に説得力のある演奏ができるバンドでいたかったんです」
毎月のライブ、年に一度の大きな自分自身のアウトプット。その積み重ねが、バンドを鍛えてきた。
「東京でワンマンを・・・って気持ちがゼロじゃないのは正直なところです。でも“目指せ東京”ではない。今は、まだその時じゃないだけ」
10回続けても、まだ足りないと思える。その感覚こそが、続ける原動力なのかもしれない。
辞めないための音楽人生
魂が語る展望は、驚くほどシンプルだ。
「決めているのは、音楽を辞めないこと。それだけです」
レコード会社や大きな後ろ盾がなくても、自分で生計を立て、音楽を続けられる状況を作る。
「骨格調整の仕事をしながらでもいい。媚びずに、誰にも気を使わずに音楽を作れる環境をキープすることが大事なんです」
かつて主催していたイベントでは、大きな借金を背負ったこともある。しかし10年かけて完済した。
「気づいたら貯金がない理由は、それでしたね。でも、全部返しました」
その言葉に、悲壮感はない。むしろ、淡々としている。
若い血と、転がり続けるロックンロール
現在、魂はShaolongとは別に、若いメンバーとの新しいバンド(「BLENDA SHAKES」)にも取り組んでいる。
「年下とやることで、若い血が入る。化学反応が楽しいんです。Shaolongでは先輩たちに鍛えてもらってきたから、今度はその経験を次につなげていく」
ロックンロールは、完成するものではない。転がし続けるものだと、魂は言う。
【エピローグ】
退屈な人生に、潤滑油を
最後に、読者へのメッセージを尋ねると、魂は少し考えてからこう答えた。
「退屈だな、つまらないなって思う時間は誰にでもある。でも、ギターを練習してる時や、曲を作っている時は、時間が足りなくなる。音楽じゃなくてもいいから、そういうものを一つ見つけられたら、人生の潤滑油になると思うんです」
沖縄が面白くない、と嘆く声に対しても、魂は視線を内側に向ける。
「他に依存するより、自分で面白くする方法を見つける方が早いですよ」
嘘に怒り、真実を抱きしめる。
その姿勢は、楽曲の中だけでなく、魂という一人のバンドマンの生き方そのものだった。
【Shaolong To The Sky(シャオロン・トゥ・ザ・スカイ)】
Shaolong To The Skyは、2003年に結成された沖縄発のスリーピースロックバンド。
G/Vo. 當山貴史(トウヤマタカフミ/魂)、Ba. 上地gacha一也、Dr. 當間嗣篤の3人編成で活動しています。
骨太なロックサウンドと、熱量の高いライブパフォーマンスを武器に、沖縄を拠点としながら日本各地、さらに台湾へと活動の場を広げてきました。
主な活動・実績
・自主レーベル「真夜中レコーズ」よりアルバム2作品を全国リリース
・MONGOL800主催ライブハウスツアー
『MONGOL800 ga LIVE OKINAWA Live House Circuit 08』 にツーマン出演
・FM802主催イベント 『MINAMI WHEEL(ミナミホイール)』 に出演
・オリオンビアフェスト in KOZA など、各地大型イベントへ出演
タイアップ・コラボレーション
2008年:オリオンビール社 CMソングを担当
2012年:TOYOTA アクア presents ビーチクリーンキャンペーン(沖縄クリーンコーストネットワーク主催)キャンペーンソングを担当
2013年:ヒップホップアーティスト RODEO とのコラボレーション楽曲「fly into the sky」を配信リリース、RBCiラジオ『SWAG RADIO』エンディングテーマに起用
2014年〜2019年:琉球放送(RBC)開局60周年記念・時報ソングとして「愛の歌」が起用
その後、オリオンビール
「オリオン ザ・ドラフト いちばん桜 PREMIUM」
「オリオン ザ・ドラフト PREMIUM シークヮーサー」
CMソングとしてもタイアップ
フェス・自主企画
2015年、世界遺産 中城城跡 にてロックフェス 『GUSUKU ROCK FES’15』 を主催・開催
初開催ながら「伝説の始まり」としてナタリーなど各メディアに取り上げられる
現在
沖縄に拠点を置きながら、マイペースに、しかし確かな歩みで活動を継続。
インディペンデントな精神と、体の奥底にある熱を鳴らし続けています。
HSTI骨格調整所 月の庭所長 兼 G/Vo. 當山貴史(トウヤマタカフミ/魂)
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