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OTV制作部

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國場 幸太郎 ~建設業のほか、映画・観光・海運業にも進出。17社からなる「國和会」の総帥~【オキナワ強者(チューバー)列伝】

1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!

※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意

今回は「沖縄経済」をテーマに沖縄財界四天王を紹介!
はちゃめちゃでパワフルな男たちの物語!

「沖縄経済」二人目の強者(チューバー)は、國場幸太郎!!

國場幸太郎 ~建設業のほか、映画・観光・海運業にも進出し17社からなる「国和会」の総帥~【オキナワ強者(チューバー)列伝】

1900年、国頭村生れ。 戦前に國場組を設立し、沖縄の飛行場建設などを一手に請け負う。
戦後は建設業のほか、映画・観光・海運業にも進出し、1968年 には國場組を株式会社にして、17社からなる、「國和会」の総帥となった強者(チューバー)!

そんな幸太郎は1度だけ村長をしたことがあります。それはどこの村長だった?

1.国頭村(故郷)
2.糸満村(当時)
3.みなと村(廃村)
4.阿蘇村(熊本)
 
 

なんと正解は3番。

みなと村…あなたは耳にしたことがありますか?
実は1947年から1950年に那覇市に吸収されるまでの3年間だけ存在した村があったんです。
港周辺、現在の垣花町、奥武山、壷川、楚辺など。戦後、港湾労働者がたくさん住み始めていました。
いまだ解放されない米軍占拠地区に帰れない人たちも、かなり含まれていました。
みなとむらの85%が港湾労働者で、およそ2,500人の作業員とその家族がいました。
そこには学校もあったそうです。

國場幸太郎 ~建設業のほか、映画・観光・海運業にも進出し17社からなる「国和会」の総帥~【オキナワ強者(チューバー)列伝】
経済界の強者(チューバー)達が一堂に会した貴重な写真。左から國場幸太郎、大城鎌吉、宮城仁四郎

そのほか、國場幸太郎のチューバー列伝はこちらをご覧ください。

「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!

オキナワ強者(チューバ―)列伝 OTV 沖縄テレビ

沖縄県復帰50年特別企画「オキナワ強者列伝」

第一回「経済」の強者
2022年3月15日(火)19時から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

>番組情報はこちら!

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