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真栄城 潤一

真栄城 潤一

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」

沖縄では戦後80年を迎えた今も年間約400件、つまりほぼ毎日のようにどこかで不発弾が発見されており、その完全な処理には今後も長期間を要すると見込まれている。

今なお日常に影響を及ぼしている不発弾の危険性に改めて目を向け、平和について考えるため、沖縄県の主催で「戦後80年特別シンポジウム 不発弾がなくなるその日まで」が琉球新報ホールで開催された。

「終わらない沖縄戦」とどう向き合うべきか。将来の沖縄のために「いま、自分たちができること」をともに考えるべく、基調公演やパネルディスカッションに登壇した様々な立場の人たちの言葉を紹介する。

目次

毎日のように不発弾が見つかっている

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」
会場に展示された不発弾模型

シンポジウム冒頭、沖縄県の担当者が示したデータは沖縄が置かれた特異な状況を改めて浮き彫りにした。戦時中に沖縄で使用された弾薬量約20万トンのうち、約1万トンが不発弾として残されたと推定されている。

発見された不発弾の処理は全国で行われているが、沖縄での処理量はそのうちの半分を占める。建設工事の現場はもちろん、農作業での草刈りや、個人の住宅の庭から見つかることも珍しくない。年間の発見数は約400件で、毎日のように発見報告があるのが“日常”と化しているのが現状だ。

「不発弾がなくならない限り、戦争が終わったとは言えない」

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」
不発弾事故について語る名嘉地義昭さん(右)と聞き手を務める琉球新報の玉城江梨子記者

第1部では不発弾事故被害者として、1946年に石垣島の海岸で拾った機銃弾を不用意に触って爆発させてしまい、手の指を7本失った93歳の名嘉地義昭さんが公開取材の形で自身の被害を公の場で話した。

終戦間もない頃、石垣島の海辺で拾った弾薬を家に持ち帰り保管していたところ、弟たちが見つけて遊びに使っていたのを慌てて取り上げた。その後、好奇心から信管を抜こうとして爆発が起きた。

「目の前が真っ暗になりました。何があったのか、弟たちが『兄さん、死んだ、死んだ』って騒いでるんですよ。おかしい、私は死んだ覚えはないんだけど、私はまだ生きてるじゃないか、なぜこうなったのか分かりませんでした。しかし、しばらくして爆発が起きたんだということに気が付きました」

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」
自身の失った指を示しながら当時について語る名嘉地さん

名嘉地さんは病院に搬送され、麻酔なしで激痛の中で指の手術をされたという。指を失ったことで日常生活に支障をきたした上、大人たちには「大馬鹿者」と怒られた。「自分を卑下して、大変悔しい思いをしました」

興味本位で拾い、触ってしまった責任が少なからず名嘉地さんにあるとはいえ、そもそも日常生活の中に不発弾が転がっている状況や、不発弾の取り扱いに対する周知・教育も満足にされていない中で、子どもに全責任を負わせるのは理不尽としか言いようがない。そんな中、名嘉地さんは絵を描くことで自分の人生の意味に向き合い、生きる力を得た。

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」
会場に展示された名嘉地さんの絵画作品

「80年前の戦争で全てが破壊されました。戦争は不発弾と繋がっている。不発弾が撤去されない限り、戦争は終わったとは言えません。私のできることと言えば、撤去作業にあたっている自衛隊員一人一人の安全を祈ることです。その上で、この80年間続いてきた平和を、絶対に終わらせてはいけないということを伝えたいと思います」

「不発弾は戦争の二次被害」という悔しさ

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」
不発弾事故の現場について語る田島勝さん(中央)

第2部のパネルディスカッションでは、1974年に那覇市小禄の聖マタイ幼稚園で起きた不発弾爆発事故を目の当たりにした田島勝さんが当時を振り返り、絞り出すように証言した。

「50年前の18歳の時の話。電気工事の現場から会社に向かう途中にあった幼稚園で、ドォーンと今までに聞いたことのないすごい音が(して)…現場は地獄絵図というか……」

状況も満足に把握できないまま、爆発で出来た穴から必死の思いで子どもを救出した田島さんは、この事故に直面した辛く苦しい記憶について50年以上、結婚相手や子や孫にも話せず、抱え続けてきた。しかし「不発弾は戦争の二次被害だという悔しさ」もあり、登壇を決意したという。

「これまでなかなか公の場で話すことはできなかったんですけど、もう70歳だし、自分の経験したことが、1つの平和のメッセージにつながれば良いなと、そういう思いで今日、長々とお話しました」

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不発弾の存在に慣れていないか問いかける玉城記者(右端)

こうした議論を受け、琉球新報の玉城江梨子記者は、県民の不発弾に対する「慣れ」に警鐘を鳴らした。

「沖縄県民の皆さんは不発弾に慣れてしまっていませんか?新聞にも毎月のように『雑報』という小さな記事で報道していて、私たちも慣れている。県外の友人に指摘されて、私たちの日常って異常なんだなって気づくことがあります。今回、名嘉地さんや田島さんのお話を聞いて、私たちは人を傷つける兵器が埋まっている場所に住んでいるんだなとあらためて実感しました」

不発弾探査は県が原則100%補助、安全のために活用を

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磁気探査の重要性について語る池田竹州副知事(右から2人目)

技術的・行政的なアプローチから安全をどう担保するかについての議論では、池田竹州副知事が、沖縄県による磁気探査の支援事業について触れた。

沖縄県は住宅や工場などを建築する際、事前の不発弾探査費用を原則100%補助している。
具体的には、住宅の新築・建て替えやそのほかの民間工事予定の土地を対象にした「住宅等開発磁気探査支援事業」だ。土地活用と周辺住民の安全につながるもので、建設予定地の市町村窓口にて申請できる。

https://www.pref.okinawa.jp/bosaianzen/fuhatsudan/1021697.html

池田副知事は過去に爆発事故で死傷者が出たことや、昨年(2025年)8月に探査事業の周知を目的として沖縄県が制定した「不発弾処理推進月間」についても言及しながら、生命と財産を守るための不発弾探査の重要性を繰り返し強調し、制度の活用を呼びかけた。

「この制度を知らずに工事を始めてしまう方もまだいらっしゃいます。自分の家や家族を守るために、まず『探査をする』という選択肢を当たり前のものにしてほしいと思っています。正しい知識で正しく怖がることが重要です。住宅、事業所を建てる際には、是非制度を利用してほしい」

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磁気探査について話す宇良一成さん(左から3人目)

この池田副知事の発言を受け、元自衛官でNPO法人「沖縄の不発弾等を考える会」理事長の宇良一成さんは、不発弾処理現場での印象的な出来事として住宅の基礎部分に不発弾が半分埋まっていた状況を目にした逸話を披露しつつ、磁気探査の重要性について強調した。

「不発弾探査の実施は非常に重要なことで、磁気探査をすれば事故を未然に防ぐことができます。県のバックアップを得ながら、しっかりと取り組んでもらいたいと考えています」

また、宇良さんは県の住宅等開発磁気探査支援事業の審査に一定の時間がかかることについて「慎重に進めていくべきということも分かりますが、建築許可がおりてから事業実施までのタイムラグがある」と指摘。
その上で、不発弾探査の円滑化を図るためにも「行政にはスピード感を出してもらえるようお願いしたいですね」と要望した。

沖縄の平和の学びと沖縄戦の教訓を発信すること

足元に眠る“終わらない戦争”の危険性に向き合う。戦後80年特別シンポジウム「不発弾がなくなるその日まで」
基調講演で沖縄戦の教訓と知見の活用について話す園原謙さん

議論は、沖縄の教訓をどう世界や未来に活かすかという視点にも広がった。基調講演を行なった沖縄県文化協会事務局長の園原謙さんは、内戦を経て地雷除去作業が行われているカンボジアでの平和支援活動を引き合いに、沖縄の知見が国際貢献に繋がっている現状を語った。

「沖縄の持っている平和の学びや沖縄戦の教訓を、沖縄のみならず未解決の問題を抱えるアジア諸国にも共有することが大切だと考えています。日本は平和博物館大国で、アジアの中でも突出していますが、その中でも沖縄は平和博物館立県と言ってもいい。地域の記憶や情報の掘り起こしを積極的に続けながら、平和の発信をしていくことが重要だと思います」

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会場に展示された不発弾に関する新聞誌面

不発弾は沖縄の地を踏み、そこに暮らす全ての人たちの命と暮らしに関わる。

戦後80年という月日が経っても未だに危険を伴う戦争の「負の遺産」が沖縄の日常にあることの意味を、県民に限らず多くの人が受け止めて考え、平和への歩みが進んでゆく未来を願ってやまない。

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