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読谷村の博物館で”お墓の中”に入っちゃった!?ぐしけんさんが人間国宝のやちむんに感動
沖縄のレジェンド・具志堅用高さんが、まだ知らない沖縄の魅力を再発見する「ぐしけんさん」。
今回は読谷村にある「ユンタンザミュージアム」を訪れて、2000年前の沖縄の暮らしから人間国宝の焼き物まで、たっぷりと読谷村の歴史と文化に触れちゃうよ!
目次
「ゆんたく?ちゃうちゃう!」から始まるミュージアム訪問
読谷村の崎見エリアに、なんとも気になるミュージアムがある。その名も「ユンタンザミュージアム」。
ぐしけんさんこと具志堅用高さん、名前を聞いた瞬間にピピッときたらしく、「ゆんた……ゆんたくのゆん、ゆんじゃないの?」とズバッと予想。ゆんたく=おしゃべり、という沖縄語をちゃんと知ってるのはさすがだけど、残念ながらハズレ!
実はこの「ユンタンザ」、戦前は「読谷山」と書いて「ユンタンザ」と呼んでいたことに由来しているんだって。「あー、残念」とぐしけんさんも苦笑い。
このミュージアムの前身は、1975年に開館した読谷村立歴史民俗資料館。それが2018年6月にユンタンザミュージアムとしてリニューアルオープンした。3階建てで、1階は座喜味城跡や読谷村の自然と歴史、2階は民族資料や沖縄戦に関する展示、3階には美術工芸品が揃っていて、ボリューム満点の内容になってるよ。
案内してくれるのは、ミュージアムの松田香怜さん。早速1階からスタートだ。
エントランスホールで、松田香怜さんの案内を受けるぐしけんさんとアシスタントの與那嶺望さん
「先祖に挨拶したら背が低かった」グスク時代の読谷村
1階では、読谷村の歴史が『グスク時代』、つまり座喜味城が生まれる少し前の時代から紹介されている。
当時の読谷村には「大湾アガリヌウンガン遺跡」という交易の拠点と思われる遺跡があり、13世紀頃には中国との交易も盛んだったという。「中山の察度王」に仕えた「泰期」という人物が、中国との貿易を担っていたとも伝えられていて、残波岬にはその泰期の像も建っているんだって。
「中国のね、貿易がいっぱいあったんだね、13世紀ぐらいに」と、ぐしけんさんも目をキラキラさせながら納得。
そして15世紀の初め頃、護佐丸という人物が座喜味城跡を築城することになるんだけど、この話の続きはまた次回のお楽しみ、ということで…。
1500〜2000年前の沖縄人のお顔が復元されてた!
ひときわ目を引いたのが、読谷村の木綿原遺跡から出土した「箱式石棺墓」のレプリカ。今から1500〜2000年前のもので、九州から伝わったお墓のスタイルなんだって。九州と沖縄といえばかなり距離があるのに、それだけ昔から人の行き来があったっていうのがすごい!
この遺跡からは7基の箱型石棺墓と17体の人骨が出土していて、沖縄に埋葬の風習があったことを示す最初の証拠になったそう。さらにその人骨をもとにお顔が復元されていて、「実際に生きていたときはああいうお顔だったんじゃないかな」という松田さんの説明に、3人ともじっと見入っていたよ。
沖縄初代知事は読谷村出身だった!ぐしけんさんとの意外なつながり
2階の展示で、ぐしけんさんにとって特別な人物の資料が登場した。
沖縄戦後、沖縄はアメリカの統治下に置かれ、「琉球政府」という組織が生まれた。
その琉球政府の初代行政首席となり、1972年5月15日の本土復帰を実現した後、沖縄県初の県知事に選ばれたのが「屋良 朝苗さん」。
この屋良さん、実は読谷村の瀬名波という場所の出身だったんだ!
「私が沖縄本島を出てボクシングして世界チャンピオンになった年に退任されてますよ。昭和51年(1976年)。覚えてますよ、私は」とニッコリ。
そう、ぐしけんさんが世界チャンピオンになった年に、屋良さんは2期目の任期を終えていたんだ。
沖縄の歴史の大きな節目と、ぐしけんさんの栄光の瞬間がリンクしているなんて、なんだかロマンを感じちゃう!
「ちんぼら!マッチの軸で食べてたよ!」貝の道に沸く展示室
続いて目に入ってきたのが、長浜吹出原遺跡から出土した「蝶型骨製品」。
なんと、ジュゴンの肩甲骨で作られた道具だというから驚きだ。
当時の沖縄にはジュゴンが豊富にいたんだね、と思わず遠い目になってしまう。
さらに、松田さんが「この時代、貝がすごく大ブームで、沖縄から日本本土にも海製品が運ばれていた」と説明すると、ぐしけんさんが突然「ちんぼら!」と叫んだ(笑)。
「これ、よく採れたよね。マッチを削って、軸で取ってたよ。
あと針でも取ってた」と、懐かしい記憶がよみがえったみたい。
爪楊枝がないから、マッチの軸や縫い針で貝の身を取り出して食べてたっていうのが、なんともリアルで笑えるエピソード!
約2000年前の沖縄では、芋貝やゴホウラ貝などで作った装飾品を、穀物や金属、布などと交換していたんだって。
その交易ルートが「貝の道」と呼ばれていて、九州はもちろん、東北・北海道まで渡っていたというから、スケールがでかすぎてちょっと頭がクラクラするよね(笑)。
ガン(霊柩車)とカメコウバカ体験!「お尻から出ないと引っ張られるよ」
2階でもう一つ目を引いたのが、「ガン」と呼ばれる箱型の道具。今でいう霊柩車の役割を果たしていたもので、亡くなった方をお家からお墓まで運ぶために使われていたんだって。実際に使われていたものがそのまま展示されているよ。
さらに、その奥に現れたのが「亀甲墓(かめこうばか)」の原寸大レプリカ!沖縄の伝統的なお墓で、屋根が亀の甲羅のような形をしていて、中には骨壺(ずしがめ)が納められている。
なんと、レプリカとはいえ実際に中に入れるというので、ぐしけんさんも体験してみることに!
中に入ったぐしけんさん、「うわー、広いわー!」と感嘆の声を上げた。確かに骨壺(ずしがめ)をたくさん納めるから、中はかなり広いんだって。
出るときには、松田さんから大切なルールが伝えられた。「出るときはお尻から出てください。頭を中に向けたままはダメですよ」と。「お尻を中に向けると後ろに引っ張られる、という言い伝えがあって……」という松田さんの説明を聞いて、ぐしけんさんが即座に「先祖にお尻見せちゃいけないんだ、だから」と解釈。「ありがとうって挨拶だから」と付け加えて、なんだか温かい気持ちになった瞬間だったよ。
みんなもカメコウバカに入る機会があったら、ぜひ「頭から入ってお尻から出る」、これ覚えておいてね!
沖縄戦で一度は途絶えた「読谷山花織」の復活劇
3階に上がると、読谷村の伝統工芸品「読谷山花織(ゆんたんざはなうい)」の紹介コーナーがある。地面に置いて腰で布を引っ張りながら織る「イザリバタ(地機)」が再現されていて、ぐしけんさんも「足が大変だと思う、膝とか」と体を使う職人の苦労を想像していたよ。
でも、この花織は沖縄戦を境に、この伝統的な織り方ができる人がまったくいなくなってしまったんだ。そんな中、のちに人間国宝となる与那嶺貞さんを中心に、わずかに残っていた切れ端や、花織を見たことがある人の記憶、沖縄県内ほかの産地の織り方を研究し直して、読谷山花織(ゆんたんざはなうい)を復活させることに成功した。
この復活劇には本当に頭が下がる思いだよ。現在は主流の織機を使って継承されているけど、その技術が続いている背景には、先人たちの並々ならぬ情熱があったんだね。
「金城次郎先生のものを目の前で見られるのは、なかなかない」
3階のクライマックスは、沖縄で初めて人間国宝に認定されたやちむん(沖縄の焼き物)の名工・金城次郎さんの作品コーナーだ。
ガラスケースの中には、壺屋時代の初期の作品から、読谷に移ってきてからの作品、そして人間国宝になってからの作品まで、年代を追って展示されている。金城次郎さんの作品の特徴はなんといっても魚をモチーフにした「魚紋千堀」。魚はたくさん産卵することから子孫繁栄を意味しているそうで、のびのびと描かれた魚のお顔が年代によって微妙に変化していくのも、じっくり見比べると楽しいポイントなんだって。
ぐしけんさんは作品を見つめながら、「金城次郎先生のものを目の前で見えるっていうの、なかなかないよ」と、しみじみと語った。購入されたものもあれば、金城次郎先生から直接譲っていただいたものもあるという、ミュージアムならではの貴重なコレクションだ。
「こんな大きい建物と思わなかった」ぐしけんさんの感動のひとこと
展示をひと通り見終えて、「読谷山ミュージアム、どうでしたか」と聞かれたぐしけんさんは、「すごいよね。いろんなところ行きましたよ。すごいよ、やっぱ読谷村は」と大満足の様子。
「こんな大きい建物と思わなかったし、中に入って」とも話していて、外から見た印象以上の充実した内容に驚いたみたい。
さらに「収蔵室もすごいボリュームがありますよね」と言うと、松田さんが「展示してあるのも一部なんですよ。収蔵庫の中にもっとたくさん宝物が眠ってます」と明かしてくれた。「それ見たけど見せないんだって」とぐしけんさんがちょっと恨めしそうにつぶやいて(笑)、「セキュリティ上ですね、すみません」と松田さん。
そして何より印象深かったのが、カメコウバカ体験。「また、お墓も目の前で初めて見ましたもん。中に入ったのも。すごい広い」と興奮気味に振り返るぐしけんさんに、「実際のお墓に入ることって滅多にないですよね」と松田さん。そうだよね、普通なかなかないよね(笑)。
次回座喜味城跡へ!
読谷村の歴史・文化・工芸が一か所でギュッと体験できる読谷山ミュージアム。2000年前のお墓から人間国宝のやちむんまで、スケールのでかいラインナップに圧倒されること間違いなし。「まだ行ったことない!」という人は、ぜひ足を運んでみてください!
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