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「城の正門、まさかここだったの!?」具志堅用高さんが中城城跡を大冒険!刻印石140個の謎にも迫る
沖縄のレジェンド・具志堅用高さんが、まだ知らない沖縄の魅力を再発見する『ぐしけんさん』。
今回は世界遺産にも登録されている中城城跡を訪れ、知られざる歴史や築城の秘密に迫ります!
「中城城跡、来たことある?」と澪花ちゃんに聞かれた具志堅さん、ちょっと考えてから「うーん、ないな」と一言。そう、あの具志堅用高さんでも、実はまだ訪れたことがなかったんです! 沖縄出身の”レジェンド”でも知らないことがある、それが中城城跡の奥深さなのかもしれませんよね。
今回の案内役として登場したのが、中城村教育委員会・生涯学習課の太田さん。番組内では早くも「太田先生!」と呼ばれるほど頼りになる存在です。
目次
「向こう側が首里城なので、お尻を向けるわけにはいかない」正門の場所に衝撃!
まず一行が向かったのは、中城城跡の「正門」。
駐車場からずんずんと歩いていくと、観光客が普段入る入口を通り過ぎ、気づけばかなり奥の方まで来てしまっている。「もう入口、とっくに入ってると思ったんですけど」と澪花ちゃんが驚くと、具志堅さんも「俺はそっから上がってきたんだよ!」とツッコむ場面も。
中城城跡の正式な正門は、駐車場からはずいぶん離れた場所にある。なぜそこに正門があるのかを太田先生が教えてくれた。
「向こう側が首里城になるので、首里城方面にお尻を向けるわけにはいかないので、こちら側が正門になっています」
これには具志堅さんも澪花ちゃんも「へぇ~!」と感嘆の声。琉球王朝時代には首里城を起点に勝連城まで続く街道「中城半田道」が通っていて、中城城もその街道沿いに位置していたんだって。正門の向きにも、ちゃんと理由があったんですね。
そして正門の入口の「狭さ」にも、具志堅さんは思わず反応。
「攻められないように!こっからしか入れないもん」。そう、わざと狭くして、敵が一気に攻め込めないようにしてあるんです。軍事的な知恵が詰まった設計、さすが世界遺産ですよね。
門の両側に積まれた石は、一つひとつが大きくてきれいな長方形。「布積み」という技法で積まれていて、その精巧さに、クレーンもない時代にどうやって運んだんだろうね。
「4つの時期があることがわかった」城壁の中に眠る700年の歴史
正門を抜けた一行が次に向かったのは、「一の郭(いちのかく)」と呼ばれるエリアの城壁。ここでは太田先生から驚きの調査結果が明かされます。
平成28年度に石積みの修理を行った際、根元部分の発掘調査で、この城壁が4つの時期に分けて築かれたことが判明したんだとか。
まず最初の時期は13世紀後半から14世紀後半。この頃はまだ石積みがなく、防御的な施設や集落があったと考えられている。
2つ目の時期は14世紀中頃から後半。石積みの高さが約5メートルになった時期で、「ちょうど今見えているこの高さあたり」と太田先生が指さす。2階建ての建物ぐらいの高さをイメージしてみて。
3つ目の時期が15世紀前半。2つ目の時期の石積みの上にさらに積み足して、高さが約14メートルになった。「絶対攻めてこれないようにしてるんですよ」と太田先生が力説すると、具志堅さんも「そうなの!!」と目を丸くして聞き入っていました。
そして4つ目の最後の時期。城壁の境目が崩れそうになったため、それを抑えるための「野面積み(のづらづみ)」という別の石積みが手前に追加された時期。これが19世紀末から20世紀初頭のことだとわかったのは、なんとペリーのおかげ!
1853年に来沖したペリー探検隊がスケッチを残していて、そこにはこの抑え石積みが描かれていなかった。だから「19世紀後半以降に追加されたもの」と特定できたんだって。歴史の証拠って、こんな意外なところにあるんですね。
「もう触れてますね」南の郭で刻印石を発見!140個近くのミステリー
続いてやってきたのは「南の郭」。ここでは、太田先生が「沖縄ではあまり見つかっていない刻印石が発見されている」と紹介してくれました。
刻印石とは、石の表面に文字のような刻印が刻まれているもの。太田先生が「どこにあるかわかりますか?」とクイズを出すと、なんとアシスタントがその石に手を触れていた! 「もう触れてますね」と太田先生が言った瞬間、「えー!私が触れてるの!?」と大騒ぎ(笑)。
刻印はアルファベットの「F」のような形で、表面に浅く彫られている。太田先生によると、よく触られているせいで白くなっているほど人気スポットになっているらしい。発見された刻印石はなんと140個近く!
でも見つけるのが本当に難しくて、具志堅さんも「分かるわけないよ、これ言われんと!分からんって!」と笑いながら悔しがっていました。
このような刻印石は、中城城跡での調査で注目されるようになってから、他の石でも多く発見されるようになったそう。太田先生は「他のグスクでも、今後発見例が増える可能性があります」と語っていて、まだまだ謎が多い存在なんです。
みんなも実際に行って探してみて!もしかしたら新しい刻印を見つけられるかも!?
「メインはここですよ!」一の郭に入ったら、その広さに走りたくなった件
南の郭での発見に興奮しながら、一行はいよいよ「一ノ郭」の内側へ。6つある郭の中で最も面積が広く、最も高い場所にあるのがここ。城の中心であり、正殿があった場所でもあります。
一ノ郭に足を踏み入れた瞬間、具志堅さんが思わず「何これ!!」と叫んだのも無理はない。広々とした空間が目の前に広がり、遠くまで景色が見渡せる。「じゃあ、ちょっと走りたくなっちゃった!」と澪花ちゃんトが言うと、「ミニサッカーできるな」と具志堅さん。「鬼ごっこしたい!」という会話になって、太田先生も笑うしかない(笑)。
この一の郭は、かつて行政の中心地でもあった。琉球王国時代や護佐丸の時代には政治の中心として機能し、その後は中城王子の領地に。廃藩置県後は役場が置かれ、沖縄戦で焼失するまで、中城の人々が行き来する場所だったんです。
「役場のとき、ここで商売考えてた実業家もいただろうな」と具志堅さんがつぶやいたのが印象的。何百年もの間、それぞれの時代に生きた人々がここを歩いていたんだと思うと、なんだかちょっと感慨深くなりますよね。
「こんないい場所で小学校!?」謎の二の郭と、三の郭の意外な過去
一の郭の隣にある「二の郭」は、実はまだ謎が多いエリア。昔は一の郭からしか入れなかったそうで、発掘調査もあまり進んでいない。太田先生も「ちょっとどういったエリアになってるかは分かっていない」と言いながら、「もしかしたら住居スペースだったかもしれません」と推測してくれました。謎が多いからこそ、ロマンがあるよね!
そしてさらに進んだ先にある「三の郭」。広い広場が広がっていて、「運動会でもしてたのかな」とみんなが思わず口にするほどの開放感。
するとここで太田先生から「この広場には、かつて中城尋常小学校という小学校があったんですよ」。
「えっ!さっき役場だったし、こっちは小学校だったんですか!?」と澪花ちゃんが目を丸くすると、具志堅さんも「もったいないな!こんないい場所!」と大反応。自然に囲まれた世界遺産の城跡の中に小学校があったなんて、想像するだけでなんか羨ましいですよね(笑)。
ちなみに三の郭の城壁には、くぼみのような形状がある。敵が攻めてきたとき、そのくぼみに入り込んだところを横から矢で射られるように設計された「罠」だったんだとか。「囲われるんですね」と澪花ちゃんが言うと、太田先生が「そうです!取り囲まれるので」と頷く。攻撃のための設計が随所に込められている、そんな城跡なんです。
まだまだ発見が続く!中城城跡は「生きた世界遺産」
今回の見学を通じて感じたのは、中城城跡が「過去の遺産」じゃなくて、今も発掘調査が続く「生きた世界遺産」だということ。刻印石の新発見、南の郭の工房跡の可能性、石積みの4つの時期……どれも近年の調査で明らかになってきたことばかりです。
太田先生は「これからも新しい発見が続くかもしれません」と話していて、中城城跡の魅力はまだまだ終わらないんだと実感できます。
最後に具志堅さんが「ほんとに皆さん、最高でいい場所なんで、ぜひぜひ来てください」と締めくくったのが、今回のエピソードを象徴する一言だったかも。あの具志堅用高さんが初めて訪れて、それだけ感動した場所。これは行くしかないでしょ!
今回紹介した一の郭・二の郭・三の郭・正門・南の郭のほかにも、大井戸(うふがー)や西の郭など、興味深い見どころがたくさんある中城城跡。ゆっくり巡ってみてくださいね。
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