復帰50年,文化
復帰を知る Vol.11 〜二人のカメラマンが撮り続けた沖縄〜
沖縄は2022年、本土復帰50年の節目を迎える。OKITIVEでは「本土復帰50年企画」として、2012年に沖縄テレビのニュース番組内で特集したシリーズ企画「復帰を知る」などの過去の放送素材と、新たに取材した復帰にまつわる内容などを加えて特集していきます。
11回目は、「二人のカメラマンが撮り続けた沖縄」です。
2012年4月28日、写真展「時の眼」の開催を前に開かれたシンポジウムで写真家・比嘉豊光さんと報道カメラマン山城博明さんがそれぞれの原点を語った。
報道カメラマン 山城博明さん
「2人の写真の出発点、原点というのは復帰闘争、写真の原点だと思っています」
写真家 比嘉豊光さん
「今回写真の原点ということで、70年代の写真集が出せるということはやっぱり50年続けてこられたからだろうと」
50年前、二人は大学の写真部に在籍し激動の沖縄闘争や基地労働者の生活をかけた全軍労闘争を撮り続けた。
山城さんは、2004年沖縄国際大学へのアメリカ軍のヘリ墜落事故に続き過去の事故を振り返った。
報道カメラマン 山城博明さん
「同じように米軍のヘリ、航空機による事故は日常茶飯事に起きています」
こうした写真は、復帰を知らない若者達の目にどう写ったのだろうか?
男子学生
「基地を残したまま、本土に施政権だけ復帰させるというやり方に対して非常に大きな怒りの声が上がって、それが今もまだ続いているということを非常に深く考えさせられました。言葉とは違う大きな説得力を感じさせられました」
女子学生
「エネルギーがあったなというのは感じました。エネルギーを出して(今の)社会をどうしていくかというのは、写真をみて考えていかないといけないんじゃないかというのは凄く思いました」
二人は、沖縄の時代史に寄り添いながら写真を蓄積してきた。
比嘉さんは沖縄戦の傷痕が生々しく残る肉体「島クトゥバ」での沖縄戦の証言の記録、2009年に見つかった日本兵とみられる遺骨に至るまで、50年間シャッターを切り続けてきた。
写真家 比嘉豊光さん
「毎年5月15日は必ず記録する、6月23日は摩文仁に行って記録するとかそういうことを淡々とやる。そういう流れをするから復帰20年30年には何かが生まれる」
報道カメラマンの山城博明さんは時代を象徴する瞬間を捉えてきた。
1975年7月、ひめゆりの塔を参拝するため訪れた当時の皇太子夫妻に向けて火炎ビンが投げられようとした時、山城さんのカメラはまさにその瞬間を捉えていた。
報道カメラマン 山城博明さん
「ここからちょうど両殿下の表情を狙っていたわけです。涙を流されるんじゃないかと。その瞬間にファインダーの中に異様な物が出てきたわけです。それで思わずシャッターを押した訳です」
「戦争責任が追及されないまま、来沖するのは反対だという世論と歓迎する立場両方の人が居た訳です。ですから、こういう複雑な思いを顕著に表した事件だったんじゃないかと思います」
山城さんはこうした写真を手がかりに当時の沖縄社会の情勢を知り、改めて「復帰」を問い直して欲しいと願っている。
報道カメラマン 山城博明さん
「(写真には)世の中を変える力があると思いますので、自分はどの立場で撮るかというのが一番重要です。一般大衆の立場にいつも立って、権力に向けてカメラを向ける、そういう立場でいつも撮っています」
復帰50年、沖縄は何が変わり、何が変わらないのか、そしてどこへ向かうのか。
復帰50年未来へ オキナワ・沖縄・OKINAWA
2022年5月15日(日)正午から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!
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