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OTV報道部

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復帰を知る vol.15 ~琉海ビル事故~

沖縄は2022年、本土復帰50年の節目を迎える。OKITIVEでは「本土復帰50年企画」として、2012年に沖縄テレビのニュース番組内で特集したシリーズ企画「復帰を知る」などの過去の放送素材と、新たに取材した復帰にまつわる内容などを加えて特集していきます。
15回目は、琉海ビル事故についてです。

復帰後、本土との格差是正を図る沖縄では、公共事業をメインとした建設ラッシュが訪れる。社会の急激な変化は、一方で歪みも生まれていた。手前の道路は崩壊し、住宅や工事用のパイルが何十本も倒れている。これは復帰の翌年、1973年の映像。国道58号線沿い、 那覇市前島だ。街の中心になぜ、こうした光景が広がったのか?

2009年、浦添市のマンションで起きた崩落事故。廊下が20メートルに渡って崩れ、錆びついた鉄筋がむき出しになっていた。専門家が指摘した原因、それはコンクリートに使われた塩分濃度の高い「海砂」。背景として建築資材が著しく不足した1975年の海洋博覧会による建設ラッシュが挙げられている。

沖縄復帰記念の大事業として海洋博が開かれたのは、復帰から3年後の1975年。戦後の沖縄と本土との格差是正に向けた、施策の一つのシンボルと位置付けられた。

沖縄国際大学教授 富川盛武さん
「まずはインフラ整備、高速道路を造る、海洋博を開催する。日本政府が集中して沖縄県にこれだけ資金を落としていくということは当然、建設業も潤ってくるし」

復帰直後から公共工事の波が押し寄せ、同時に海洋博の需要を当てこんだホテル建設や土地の買占めなど、本土資本も一挙に流れ込んできていた。当時の建築確認申請は、復帰前と後では 倍にもなり凄まじいほどの建築ラッシュとなった。こうした沖縄が建設ラッシュに沸くある日の夕方、事故は発生した。

1973年11月26日、那覇市前島の国道58号線と住宅地を巻き込んだ。琉海ビル事故。地下四階、地上20階と国内でも指折りの巨大ホテルが建つ計画だった。

建築士 末吉栄三さん
「それはもうドでかい規模ですよ、見たこともないような大きさでしたね、びっくりしました」

建築士の末吉栄三さんは当時、大阪府の防災委員を務め、すぐさま現場に駆け付けた。

建築士の末吉栄三さん
「つまり地下4層分を掘って、だいたい地上から15メートルくらいです。そこにパイルを打って、割合、簡易な工法を使ったんですけどね」

現場一帯は、戦前までは塩田が広がる干潟で、地盤は決して強い地域ではなかった。工事では、潮の干満に影響される土砂の圧力に擁壁が耐えきれず、地面に亀裂が走ると瞬く間に崩落したという。

建築士の末吉栄三さん
「現場から言えば単なる事故ですけど、巻き込まれる人から言えば災害ですね。津波や地震と一緒ですよ」

屋良尚市さん
「これが僕のおうちですね。洗濯物も全部 屋上にあってこれ落ちているのがうちの増築した部分。僕の上の洗濯物。笑い話で、たまたま下着は干してなくてよかったね、全国放送されてたからといって笑った、これですよ」

大規模な事故にも関わらず、死傷者はいなかったが、実は多くの人たちが間一髪で逃れたのだ。

屋良尚市さん
「(工事関係者は)とにかく相手も状況を知っているから、ぼくのお袋にだけ連絡して、逃げてくれというだけ、報告したよということだけで逃げているんですよ」

突如、避難を指示された比嘉さんは、生後まもない次女を抱え玄関を飛び出した。

比嘉和枝さん
「道のところ出たら、58号線側からドドーッて崩れてきたの、砂煙が上がって、びっくりして一度下がったわけ、下がったけれども、いくしかないでしょ?走って向こうを曲がると同時に崩れたわけ、というのは電線がこんなに揺れてた、それを見ると曲がった時、後ろが落ちたんだなと」

外出していた金城さんも娘2人を自宅に残し、安否は分からないままだった。事故の前触れは以前から住民に指摘され着工後から地割れが生じたり、ガス管が外れ、ガス漏れなども起きていた。

金城良子さん
「(住宅の)増築した部分が、毎日こうして少しづつ、すこしづつ開いて、最終的には25センチくらい離れていた」

建築家 末吉栄三さん
「これだってちゃんと作れば、それは作れましたよ。いろんな兆候があるんだけど。とにかく工期が海洋博までだから、とにかく突っ走ったんですね。それが一番まずかった」

それでもホテルの完成を急いだのは、2年後に控えた海洋博に間に合わせる為だったと言われている。さらに原因の調査よりも国道58号線の復旧が優先され、わずか38時間で埋め戻されたのだ。

比嘉和枝さん
「おおまかなことですけどね、ずっとメモしているんですよ。翌日はすぐ、哺乳瓶買いに、ミルク買いに、(何もないもんだからね)そうそう。これもなかった、あれもないこれもないと思って」

住宅や家財の全額補償は決まったが、代用品が高価すぎると業者側から白い目で見られることもあったそうだ。

比嘉和枝さん
「不快だった、こんなこともなければ買う必要もないものなのに、タンスなど嫁入の際そろえたもの手放したくない、大事なものなのに、何不足なく、平和で満足していた生活をしていたのに、めちゃくちゃにされてしまって…」

屋良尚市さん
「一番よかったのはね、沖縄の動脈58号線に面していること。そこを直さない限りは、これはもう、沖縄全土があとは問題おこりますよね。だから、名誉にかけて直してくれたんだと、これがそこら辺の道だったら、もう直してくれなかったなぁと思いますよ」

その後、海洋博は見込まれた需要には及ばず多くの企業が倒産するなど、海洋博不況とも揶揄された。格差是正の旗印のもと復帰と共に押し寄せた急激な社会変化の陰では、多くの代償や犠牲を生んでいたのだ。

復帰50年未来へ オキナワ・沖縄・OKINAWA
2022年5月15日(日)正午から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

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