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真崎 睦美

真崎 睦美

2度目の沖縄移住でもぶつかった「大人はどうやって友達作るの?」問題

ライター真崎 ”2度目の沖縄くらし”だより

目次

2021年8月末。
2度目の沖縄暮らしを始めた独身無職のわたしに「今いちばん欲しいものは??」と聞いてみたなら、その回答は彼氏でも夫でも仕事でも現金2兆円でもなく「ヒマな時にLINEし合って30分後には近場の飲み屋でカンパイできるフットワーク軽めな近所の友達」になったと思う。

「沖縄暮らしも2度目なら、そんな時に連絡できる沖縄の友達が1人や2人いるのでは??」

そう聞かれることもあるし、実際に4人や5人はいた。いたはずだった。

1度目の沖縄暮らし中、仲良しだったスタバのお姉さんは現在県外に住んでいる
1度目の沖縄暮らし中、仲良しだったスタバのお姉さんは現在県外に住んでいる

1度目の沖縄暮らしで、友達たくさんできたけど

2016年夏。1度目の沖縄暮らしを始めた頃、最初にぶつかった壁は「友達がいない」だった。沖縄には縁とゆかりの欠片もなかったのだから当然だ。

幸いなことに1人だけ、沖縄に住む大学時代の女友達がいた。移住当初は北中城村にある彼女の家か、イオンモール沖縄ライカムのフードコートに入り浸っていた記憶がある。

***

沖縄の友達が増えたきっかけは、ライターの仕事だった。

移住後の間もないタイミングで、県外の友人ライターが沖縄のwebメディアで編集をしている方を紹介してくれた。その方とお会いし、仕事をご一緒することが決まり、さらにライター・編集界隈の人が集う飲み会やイベントにも呼んでもらい、その度のこのこ参加した。

その結果じわじわと知り合いの輪が拡がり、その中から「プライベートでも一緒に出かけたり飲んだりできる友達」も爆誕。

彼ら彼女らとお互いの家を行き来して酒を飲み、夜更けまでマリオカートに精を出し、そのまま深夜にカラオケオールへ繰り出すなど、”大学時代のただれた青春”さながらの充実した沖縄ライフを過ごすことができた。

1度目の沖縄暮らし中、一緒に島ぞうりを掘った友達も今は県外にいる。あきさみよ
1度目の沖縄暮らし中、一緒に島ぞうりを掘った友達も今は県外にいる。あきさみよ

そして1度目の沖縄移住から1年ちょっと後の、2017年秋。

わたしに県外の恋人ができて沖縄を去ることになった時、「別れたら沖縄に戻ってこいよ~!」「わたしらが慰めたるからな~!」と、ハートフルな友人たちが破局による出戻りを前提に手を振ってくれた。

「彼ら彼女らが待っていてくれる沖縄は、もう立派な”第2のふるさと”だな……」

なんて感傷に浸り、万万万が一恋人と別れるようなことがあれば、また愛するみんなのいる沖縄に戻ってきたいなと心から思った。

***

そして昨年夏。

万万万が一の破局により沖縄に出戻ってきた時、慰めてくれるはずだった仲良しフレンズはほぼ沖縄からいなくなっていた。なんでやねん。

その理由は、転職、結婚、旦那さんの転勤など様々だが、ざっくりまとめれば「20代後半~30代に訪れる怒涛のライフイベント」だ。誰も悪くない。みんなに幸あれ。

さらに、引き続き沖縄在住の友人らも、しばらく会わない間に起業、結婚や出産、そして子育てと、それぞれ人生のステージを進めて忙しそうな日々を送っている。

ふと周りを見渡せば、わたしだけが「独身無職」の看板を掲げた圧倒的ヒマ人だった。

同年代の活躍や幸せな姿と比較して自分の現状に焦る………といった焦燥感は特になかったが、「30超えると気軽に遊べるヒマな友達がみるみる減っていく」という恐ろしい現実を目の当たりにして心底震えた。

ヒマだから一人で飲み屋街を散歩した夜
ヒマだから一人で飲み屋街を散歩した夜

大人になってからの友達の作り方、どうすればいいのか問題

この状況になって改めて思う。友達ってどうやって作るんだっけ。

1度目の沖縄暮らし中は、ライターの仕事や関連イベントに助けられた。
しかし2度目の移住時、沖縄はイベント自粛の相次ぐ緊急事態宣言下。また、無職に「仕事つながりの縁」などなく、総じて”出会い”の難易度が爆上がりしていた。

では、SNSを使うのはどうか。

かつては1日23.5時間タイムラインに張りつく重篤ツイッタラーで、「【ゆる募】今晩那覇で飲める人」などと軽率な募集ツイートを投稿しては、返信をくれた初対面のフォロワーさんと会うこともしばしば。そこで飲み友達になる人もいた。

久しぶりにゆるく募集でもかけてみるか~と、ツイート画面を開く。

が、「初対面の誰かと出会うワクワク感」より「でも、よく知らない人とわざわざ会ってお互いのこと話すの、なんかもう率直にめんどくさいな」という怠惰な本音が圧勝して即終了。

加齢による気力・体力の低下だろうか。
20代後半の頃に持ち合わせていた「向こう見ずな好奇心やフットワークの軽さ」が確実に失われている気がする。思わぬ老い。

イベントもない、SNSで新規開拓するガッツもない。それなら、あとはどんな”友達の作り方”が考えられるっけ。

というか、マジで、友達ってどうやって作るんだっけ……??

大人の友達作り「誰かと仲良くなりたいなら、まずは」

「大人になってから友達ができなくなりました。友達ってどうやって作るんでしょうか??」

床に寝そべりながらスマホをいじっていたヒマな某日、我が化身か??と見まがうお悩み相談記事を発見した。

思わず身体を起こし、スマホ画面をスクロールする。とある女性作家さんが相談者に返した回答は、とてもシンプルなものだった。

“誰かと仲良くなりたいなら、まず自分から誘いましょう”

“自ら誘わないけど誰かに誘われたら行く人が大半、だから自分から誘うことが友達作りのコツです”

全わたしが泣いた。
大人になってからの友達の作り方、その真理がここにあった。

思い返せば、以前の沖縄暮らしが充実したのは、元はといえば編集者の方がいろいろと声をかけてくれたおかげである。ツイッターでの【ゆる募】も一見すると能動的だが、結局は誰かの反応を待つ受動的な行為ではなかろうか。

“まず自分から誘いましょう”

その助言に心底納得したわたしは、とある女性を自分から誘うことにした。

がんばれ真崎
がんばれ真崎

「嫌がられたらどうしよう……」不安いっぱいのお誘いメール送信

そのお相手は、沖縄移住者のライターHさん。

同業かつ沖縄移住者という共通点をもつ彼女のことは、以前から気になってSNSで動向をチェックしていた。Hさんの記事やSNS投稿を見るたび「この方とはきっと仲良くなれる気がするぞ……!」と、我が相性センサーがビンビンに反応。

しかも。実は彼女とは数年前、県外で1度だけ顔を合わせる機会があり、ひと言程度だが挨拶も交わしていた。

それ以後一切の交流がなかったので”知人”と言っていいかすら怪しい関係だったが、SNSでほんのり繋がっていたこともあり、完全な初対面よりはお誘い連絡の精神的ハードルが低く感じる。

Instagramを起動し、彼女のアカウントを開き、ダイレクトメッセージ送信画面を開く。

ずっと前に一度お会いしたこと、今も時々SNSで活躍を拝見していること、沖縄暮らし中で業種も近いHさんとお話してみたいこと、そして「お忙しければスルーしてもらって全然大丈夫なので!!!!」という前のめりの遠慮を添えたお誘いメール文面を作成し、保存。

そして、このメールはそのまま数日間封印した。

”もし迷惑だったら、なんなら気持ち悪がられたりしたらどうしよう……” といった不安全開で送信ボタンを押せなかったのだ。能動的な友達作り、なんと勇気のいることか。

でも、ここで引いてしまえば、”今いちばん友達になりたいと思う人”との縁はこの後一切つながらないかもしれない。

Hさんと会ってみたいし話してみたい。
この方とめちゃくちゃ友達になりたい。
何よりも、マジでめっちゃ友達がほしい。

Hさんへの想いとEverydayぼっちの寂しさがビビりを上回り、いざ勇気を出してメッセージを送信した。

****

その翌週、わたしは那覇のカフェでHさんとお会いしていた。なんなら、カフェの後なぜか琉球空手の講座を一緒に受けた。スケジュールが斬新。

「実は、こちらからもメッセージしようかなと思っていました!とても嬉しいです!」

お誘いメールに対するHさんのご返信は、ありがたいことに大変好意的な内容だった。嬉しさと安堵で膝から崩れ落ちた。鼻血も出た。

Hさんのメールは非常に丁寧、かつエネルギーに溢れていて、お気に入りのカフェや
「真崎さんこういうのお好きかと思って!」と琉球空手講座を積極的に薦めてくれる姿勢が完全にわたしの好みどストライク。

その印象は実際に会ってもそのままで、彼女とはライター業や沖縄談義に花を咲かせて無事に意気投合できた(と思う)。

その後Hさんとはちょくちょく連絡を取り合って、ランチやお出かけを共にする仲になった。

Hさんの案内で首里城を巡った
Hさんの案内で首里城を巡った

さらに、2022年1月早々。
Hさんの友人女性が県外から移住してくるとのことで、「真崎さんと気が合うかも!」と紹介してくれることになった。

ここで知り合った旅行会社勤務&酒豪のKさんとは、なんと嬉しいことに現在「ヒマな時にLINEし合って30分後には近場の飲み屋でカンパイできるフットワーク軽めな近所の友達」という関係を築いている。

初対面からしばらく後、彼女から突然「今晩仕事のあと飲みませんか??」と連絡がきて、あまりの嬉しさから仕事後に平和通りの飲み屋街までダッシュした。

こういう”思い立ったタイミングで突然気軽に連絡をくれる人”がわたしは大好きだ。
おかげでこちらも気軽に連絡できるようになり、今も互いに声をかけ合っては、週1~2に1度のペースで酒を酌み交わしている。

Kさん、そしてHさんのおかげで、気付けば「寂しい……友達ほしい……」と自宅の床に突っ伏すことがほとんどなくなっていた。

ある夜には、奥武山公園の沖宮でKさんとともに良縁の祈りを捧げた
ある夜には、奥武山公園の沖宮でKさんとともに良縁の祈りを捧げた

32歳の学び:勇気を出したら友達できたよ

ここまで約4000字をかけて書いた内容が、いい歳した大人の「友達がほしい」「友達ができて嬉しい」という叫びである事実に今さら少々赤面している。

ただ、わたしにとって「気軽に会って話せる友達の存在」は人生の充実を大きく左右する重重重要事項だ。あの時、勇気を出してHさんにメールを送った自分に拍手と金一封を贈りたい。

本記事で唯一かろうじて役立ちそうな情報「大人になってからの友達の作り方:誰かと仲良くなりたいなら自分から誘う」が、友達を作りたい大人な誰かの参考になれば幸いである。

そして、もし他に友達作りの良い方法があればぜひ教えてほしい。
近所の友達は何人いても嬉しい。”近所”という名のLINEグループ作りたい。

ひとまず、この原稿が書き上がった達成感を酒のアテに、近日Hさんと飲みに行こうと思う。

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