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島マス~福祉の母~【オキナワ強者(チューバー)列伝】
1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!
※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意
今回は「女性」をテーマに、さまざまな分野で活躍し県民に勇気を与えた女性3人をご紹介。
いかにして本土復帰前後の時代の変わり目を乗り越えてきたのか、3人の強者の苦難や葛藤、決断の物語を紹介します!
はちゃめちゃでパワフルな女たちの物語!
「女性」の強者(チューバー)2人目は、島マス!!
島マスは、1900年(明治32年)美里村生まれ。
教育者として始まった彼女の人生は沖縄戦を経て福祉の道へと歩みだすことになる。
自らも行動を起こし、社会福祉の重要性を訴える姿から”社会福祉の母”と呼ばれた。
48歳で教員を辞め、福祉の道へ!
19歳で尋常小学校の教員に採用され、一家の大黒柱となった島マス。
その後、結婚し8人の子宝に恵まれる。
順風満帆だった島マスの人生は沖縄戦によって大きく変わる事に・・・。
1945年沖縄戦が激化すると務めていた尋常小学校の授業も打ち切りになり、一家で羽地へ疎開。
そんな中、長男と次女が戦死してしまう。
悲しみに暮れるなか、自身も捕虜となってしまうが、米軍の指示で元教員が集められ青空教室が開講。
島マスも携わることになるのだが、
そこで目にしたのは戦争未亡人や貧困にあえぐ子ども達の姿だった。
1948年、島マスは教員を辞め、福祉の道へ歩みだす。
越来村婦人会会長に就任すると、戦後の貧困から抜け出せず、非行に走る子ども達を救うため、
コザ児童保護所を私財を投じて設立。
多くの子ども達を施設に寝泊まりさせ、更生の道づくりに励むが、キリがない状況から島マスは社会構造そのものに目を向ける。
子ども達の非行が起こる地区を色分けし作成した「福祉問題地図」は各地域の福祉活動に火を付けた。
強い責任感と行動力で福祉の道を歩んだ島マス。そんな彼女の信念とは?何が彼女を突き動かすのか?
そのほか、島マスのチューバー列伝はこちらをご覧ください。
「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!
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