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OTV報道部

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沖縄の原風景を蘇らせてくれる名曲「島人ぬ宝」に込めた想いとは【OKINAWA SONG BOOK~沖縄歌集~『島人ぬ宝・BEGIN 編』】

沖縄ソングブック_沖縄歌集

沖縄県内のみならず、日本全国で愛される沖縄の歌(ウチナーソング)。名曲が誕生する背景には、その時々の世相が密接に関係しているといいます。
このokitiveの新連載企画では、誰もが知っている【一曲の沖縄の歌(ウチナーソング)】をテーマに、歌詞に込められた思いや制作秘話などを紹介しています。

今回は沖縄を代表する名曲「島人ぬ宝」がどのように生まれたのか、BEGINの三人に直接お話を聞いてきました。

誰もが知る名曲「島人ぬ宝」ですが、あらためて街でこの曲の印象を聞くと…

・「歌の間に入る『イーヤーサーサー』は絶対みんなで声を出す」(10代女性)
・「ザ・沖縄。県出身の人が内地のテレビとかに取り上げられているときに流されるイメージ。」(20代男性)
・「幼い頃に見た原風景が思い出されます。大切なものがここにあるはず」(60代女性)

老若男女に知られ、それぞれの思い描く沖縄の原風景を蘇らせてくれる名曲「島人ぬ宝」は、2002年にBEGINの23枚目のシングルとしてリリースされました。この歌はメンバーの故郷・石垣島で、当時の中学生たちから“島への思い”を聞き取り、作詞されたと言います。

Q「島人ぬ宝」制作のときの思い出は――

BEGIN/Vo.比嘉栄昇さん
「子供の頃に聞いて覚えて、飲み会の席に懐かしく思い返しては一緒に歌うみたいな。そういう歌が島の子供たちと一緒に作れないかということで当時の中学生に聞いたんですよ。そうしたら『島が宝』とか『自分のじーじー、ばーばー(祖父、祖母)は宝です』みたいな、そんな答えがいっぱい返ってきて。そんな事って僕らの世代では言えなかったと思うんですよね。たとえ思っていたとしても。でも孫、曾孫の世代になってそういう事が言える時代になったんだという事がとても嬉しかった。」

三線の音色や島言葉を使った歌詞など、沖縄のアーティストならではともいえる音楽で、数々の名曲を生み出してきた彼らですが、1990年のデビュー当初は、「恋しくて」をはじめとした、ブルース中心のバンドで、歌詞に島言葉も使われていませんでした。

Q デビュー当時を振り返っていかがですか――

BEGIN/Gt.島袋優さん
「栄昇はデビュー当初から『沖縄も日本なんだ』ということをずっと言い続けていたので、どのバンドよりもきれいな日本語で俺は歌いたいって話していました。」

BEGIN/Vo.比嘉栄昇さん
「当時は、東京で日雇いのバイトをするにあたって、外国人の扱いを受けて『なんでよ』みたいな事もあった。英語も喋れないのになんでそんな事をされるのかって。」

戦後、27年に渡ってアメリカの施政権下に置かれていた沖縄。1972年にようやく本土復帰を果たしましたが、BEGINのメンバーが上京した1980年代の後半入っても、沖縄に対する偏見はまだ残っていたと話します。

BEGIN/Vo.比嘉栄昇さん
「悔しかったし、でも相手側がそこまで思っていないというか、何の悪意もなかったということに気付いて。でも僕たちを外国人じゃないんだ、日本人なんだ、とちゃんと認めてもらうためには、どのバンドよりも言葉をはっきり歌うぞって決めた。」

「日本人として認めてもらう」と心に決めたBEGIN。そこから彼らが今のスタイルを確立することになる、大きなきっかけがありました。それがデビュー10周年を迎えた2000年の沖縄サミットです。

2000年に沖縄県名護市の万国津梁館で開催された主要国首脳会議、いわゆる沖縄サミット。当時の野中広務官房長官は、沖縄開催が決定した際の会見で「沖縄の長い歴史の痛みと、県民の熱い期待にこたえるため小渕恵三首相が決断した」と説明しました。

その沖縄サミットに合わせて、2000年7月21日にBEGINがリリースしたのが、アルバム「ビギンの島唄~オモトタケオ~」です。アルバムには森山良子、夏川りみに楽曲提供した事でも知られる涙そうそうも収録されています。

「島人ぬ宝」の制作に携わるなどBEGINのディレクターを務めるテイチクエンタテインメントの前田裕介さんは、20年に渡り付き合っている中でも、3人にとってこのアルバムは転機だったと語ります。

テイチクエンタテインメント前田裕介さん
「『涙そうそう』とか『竹富町で会いましょう』とかが入っている『オモトタケオ1』を出したので、それを出してから1年ちょっと経ってからの(島人ぬ宝の)時期だったので、自分たちの中でどういうことをやっていいか確実にわかり始めた時期だった。」

BEGIN/Pf.上地等さん
「BEGINで三線を持って弾こうってなったときに、デビュー当時は『嫌だな』って思っていた。『三線持つなよ、ギターの方が良いよ』って思っていたんだけど、だんだん自分も年を重ねるごとに、沖縄が愛しくなるし。ウチナーンチュであるということを確認したいって思いが出てきた。」

そして時代はBEGINの思いに呼応するように沖縄ブームへと突入します。

テイチクエンタテインメント前田裕介さん
「東京のレコード会社の感覚では、BEGINが島唄をやろうといった時に、たぶん反対したスタッフとかもいたと思うんですよ。そういう人たちを結果で黙らせたっていうのも変なんですけど、ちゃんと証明して見せた。BEGIN自身も変わったんですけど、世の中と沖縄の関係性が完全に変わり始めたなっていう気はしました。」

BEGIN/Gt.島袋優さん
「周りと沖縄がすごく近くなったと実感したのは確かにあって、『沖縄ってめっちゃ良い所』・『沖縄のオジー、オバーはめっちゃ面白い、かっこいい』って正々堂々言える時代がやっと来たみたいな感じは、ちょうど『島人ぬ宝』を出したときくらいには自分らでも感じだした。」

「ウチナーンチュも日本人だ…」当初の思いに対し、一つ区切りがついたとメンバーが感じた、このとき「島人ぬ宝」が生まれました。

BEGIN/Vo. 比嘉栄昇さん
「象徴的なのは名前を聞かれてもわからないっていうのを正直に言えたこと。島で住んでいながらも名前を聞かれてもわからないけれども、でもその中で暮らしているし、それをすごく大切にしているし。あの当時の、もしかしたら今の沖縄を象徴する歌詞なのかなと思います」

本土復帰後、ウチナーンチュが徐々に誇りを取り戻していった時代の中で、BEGINが上京後、ずっと胸の内に秘めていた故郷への思いがこの歌に込められていました。

僕が生まれたこの島の空を
僕はどれくらい知っているんだろう

輝く星も 流れる雲も
名前を聞かれてもわからない

でも誰より 誰よりも知っている
悲しい時も 嬉しい時も
何度も見上げていたこの空を

教科書に書いてある事だけじゃわからない
大切な物がきっとここにあるはずさ
それが島人ぬ宝

BEGIN/島人ぬ宝(2002) 
歌・作詞・作曲:BEGIN

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