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OTV報道部

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沖縄の交通ルールが変わった日・ナナサンマル(7月30日)

2022年5月15日、沖縄は本土復帰から半世紀の節目を迎えた。OKITIVEでは復帰企画第2弾として5月15日に沖縄テレビで放送した特別番組「復帰50年未来へ」をテキスト化して随時公開していきます。
今回は「沖縄の交通ルールが変わった日・ナナサンマル」です。

これは、那覇市泊高橋から見た国道1号線・現在の58号線。アメリカ統治下にあった沖縄では交通ルールもアメリカ同様に自動車は右側通行で、本土復帰後もしばらく右側通行が続いていた。

左側通行への返還は1978年7月30日とすることが決まった。

当時の子ども
「だから車はさ、左で人は右でしょ」

交通方法を一夜にして切り替えるために、あらゆる分野で綿密に準備が進められていった。

730当時 沖縄県警交通規制班班長 久高弘さん
「(特別交通規制)すなわち昭和53年の7月29日の午後10時から30日の午前6時までの8時間、全県にわたって車の通行止め、それから駐車禁止この規制を打ってその8時間内に切り替えるということをしたわけです」

当時、県警の交通規制班の班長だった久高弘さん。世紀のプロジェクトを成功に導いた1人だ。

730当時 沖縄県警交通規制班班長 久高弘さん
「交通方法の変更というものは道路標識・道路標示を設置して初めて担保されるわけですよね。その切り替え方式というものについては相当頭をひねった。これがすなわち"カバー&テープ方式"と」

世界でもまれな交通方法の変更とあって参考例もなく、のちに「久高方式」ともいわれる、「カバー・アンド・テープ方式」が生み出された。道路表示は事前に左側通行に対応したものを設置して黒いテープで覆い隠しておくのだ。

右側通行から左側通行へと変更する730当日。多い被せていた黒いテープをガスバーナーではがしていくと、左側通行用の表示が現れ切り替えは一気に進められた。

わずか8時間という特別交通規制の期限が刻一刻と迫る中、県警の対策本部には各地の工事の進捗状況が電話で伝えられていった。

730当時 沖縄県警交通規制班班長 久高弘さん
「特に信号機標識はうまい具合に行っていたんですけどね、道路標示、マーキングですね。これがかなり遅れていましてね。これは地団太踏みましてね」

交通方法変更の午前6時が迫る頃、雨と汗に濡れた作業員の努力の甲斐あって総延長160キロにも及ぶ標示の切り替えはほぼすべて終了し、沿道や歩道橋の上には歴史的な瞬間を見逃すまいと人だかりができた。そして…

730当時 沖縄県警交通規制班班長 久高弘さん
「終わった瞬間みな抱き合って涙しましたよ。感涙の涙といいますかね、あの時は本当に感極まりましたね」

復帰事業の総仕上げの730はこうして成し遂げられた。

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