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キャン ヒロユキ

キャン ヒロユキ

突然ですが、ワタクシがおそらく人生で一番言われてきた言葉、なんだか分かりますか?【キャンヒロユキの「とー、笑っとーけ。」】

キャンヒロユキのとー、笑っとーけ。

突然ですが、ワタクシがおそらく人生で一番言われてきた言葉、なんだか分かりますか?

正解はこちら!

「キャンさん、放送作家ってどんなことやる仕事ですか?」

そうなんです、放送作家がどんな仕事なのか、みなさんあまりご存知ないんです。

ちなみに人生で2番目に言われてきたのは「キャンさん、足細ぉい!」 
普段からハーフパンツ履いているからでしょうね。ほら。

隣はうちのワラバー

実はこの「放送作家」業、大学在学中からはじめて、早26年。当時は沖縄に放送作家が存在しなかったこともあり、なんと放送局の関係者からも「放送作家って何です?」と質問されることもあったんです。

そんな放送作家の仕事、一言でいうと、と説明するのがなかなか難しい。テレビ、ラジオ、CM、また番組ごとに、ワタクシが担当することって大きく違うんですね。

たとえば。

2022年7月で放送15年目に突入する番組「ひーぷー☆ホップ」(沖縄テレビにて毎週夜6時放送)。そこでのワタクシの主なお仕事といえば、視聴者のみなさんから「オキナワ☆爆笑伝説」に送ってもらったメールを選別、出演者が読みやすいように少しリライトして、どのメールが誰に合うのかを判断して出演者に割り振って本番で読んでもらう、というもの。

ひーぷー☆ホップのスタジオでの様子。
ひーぷー☆ホップのスタジオでの様子。

ちょっとすべりそうなメールは、基本もーりーに読ませるようにしています。そういうメールを読んだあとのもーりーの「なんでか!?」という一言とリアクションが面白くて大好き、というのが理由です。

なので、視聴者のみなさん、もーりーがすべっているんじゃないんです! ワタクシがそう仕向けているんです! 声を大にして言います! もーりーはすべってなんかいないんです! いや時々はあるかもしれないけど(以下略)。

ちょっとすべりそうなメールは、基本もーりーに読ませるようにしています
すべらないもーりー

また、いまや沖縄のお正月の風物詩となっている、沖縄お笑いナンバーワンを決めるコンテスト「O-1グランプリ」(沖縄テレビにて毎年お正月に放送)は立ち上げから関わり、毎年予選審査員をつとめております。

O-1グランプリ予選の様子
「O-1グランプリ」最終審査会の様子

ちなみにO-1グランプリは、1月2日の決勝は「完全視聴者投票」ということもあり、「審査員からのネタの感想やリアクションを流すと、それに投票が影響を受ける可能性があるかも」ということで、審査員は当日仮装をして別室で大会の行方を見るというのがお決まり。

ゆうりきや~さんと共にBEGINさんに扮する

ワタクシも裏方なのに、審査委員長のゆうりきやーさんと一緒にBEGINさんに扮したこともありました。
放送スタートして、すぐにBEGIN島袋優さん本人から「見ているよー!」とLINEが来ました。優さん、また機会見つけてやりますね!(やめなさい)

O-1グランプリ 2017年の様子
O-1グランプリの様子(2017)

また、アイモコさん夫婦出演のバラエティ「ゆがふぅふぅ」内のコント番組「GONGON」のコント企画と台本を書いたりなども。

沖縄のテレビでは予算の都合もあり、なかなかコントを制作して披露する機会がないのですが、セットを使わないでできるように白バックで撮影したりなど、いろいろ工夫しました。

注)「ゆがふぅふぅ」は沖縄テレビにて過去放送していた番組

つぶやぎシルーの生まりれー同年んちゅ
いさお名ゴ支部のコント「やぎのシル―」

ほかラジオやCMなどでも放送作家としていろんなことをやっております。はい。

そんなワタクシがなぜ放送作家という仕事を知り、その仕事を今まで続けることになったのか。

中学校の頃、「花王名人劇場」ではじめてダウンタウンさんの漫才を見たワタクシ。登場の時、観客席から「キャー!」と黄色い声援が飛んできて、「どうせ人気だけの芸人なんだろうな」と思って斜に構えて見ていたら(イヤな中学生!)、披露していたのがあの伝説の「クイズネタ」。面白さだけでなく、構成からなにからその新しさすべてに衝撃を受けまして、次の日からは新聞のラテ欄(ラジオ・テレビ欄)を毎日開いて、ダウンタウンさん出演の番組はないかを探しまくる日々。

それから2年ほど経ち、ついに新聞に「ダウンタウン」の文字が。その時にはじまったのが伝説の番組「夢で逢えたら」。当時同じく若手だったウッチャンナンチャンさんも出演していたこの番組を、毎週眼を皿のようにして観ていました。

それからダウンタウンさんは全国的な大人気芸人となり、新番組が次々にスタート。影響を受けたワタクシは、お笑い好きな学校の後輩を毎日公園に集めてコンビを組ませて漫才をさせたり大喜利をしてみたり。そんな当時のムチャブリにこたえてくれた後輩の喜友名クンが大学卒業後にOTVに入社し、この記事の担当になったのにもなにか運命を感じます。なー喜友名!?

そうして番組を観ている中、ふと気づいたのがエンディングに流れる文字(エンドロール)。ダウンタウンさんの番組には、ほぼ同じ名前の人が【構成】という役割とともに記されておりました。
どうやらテレビ番組というのは好き勝手喋ったり演じているんじゃなくて、ちゃんと番組の流れを組む「構成作家(放送作家)」という存在がいるのか、と知ったんですね。

その「構成作家」という文字を、番組のエンドロールではなくリアルな沖縄の生活で見たのは、大学2年生の時。たまたま新聞で目にした、FECというお笑い事務所の「土曜日にライブやります」という小さな告知。「沖縄のお笑いって、どうせ大したことないんでしょう?」と思いながらも土曜日、会場に足を運んで客席から斜に構えて見ていたら(ワタクシいつも斜に構えて見ていますね、嫌な人ですね)、ダウンタウンさんらのような中央の笑いと違った、ローカルだからこその面白さみたいなものを感じました。「へえこういう笑いもあるんだ…」と思いながらふと客席に置いてあったチラシに目をやると、そこには「FEC第1回オーディション! 芸人、スタッフ、構成作家 募集」の文字。

「構成作家かぁ…大学に通っている間だけでも、サークル気分でやってみるか!」とオーディションを受けてはじめたのが、第一歩。同期にはハンサム仲座がいました。あんなにヨレヨレのジャージを履いている18歳を見たのは、それが初めてでした。ジャージの裾のゴム紐が風にたなびいてましたから。
それから26年、ワタクシも仲座もこの業界にまだ残っています。いやー、続くもんですね!

そんなワタクシ、放送作家以外にも実はいろんなことをやっているんですが、その話はまた次回にでも!

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