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OTV報道部

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7月8日「なはの日」のはじまり~伝説の沖縄そば復活で思いをひとつに!~

60年以上の歴史を誇る沖縄テレビのライブラリーより、過去に放送したリポートや、貴重な映像をご紹介します。

那覇のまちを盛り上げようと、毎年様々なイベントが行われている「なはの日」
制定のきっかけとなったのは、那覇を愛する人々による市民団体の活動でした。

沖縄テレビライブラリーには、それまで市民団体だけで開催していた「なはの日」に、初めて那覇市が正式に参加し、制定に向けて盛り上がりを見せていく様子が記録されています。

国際通り活性化キャンペーン~なはの日イベント~(7月8日を那覇の日に!)/1マイル物語

【OTVライブラリーより/2004年7月9日放送】

7月8日を「なはの日」に。
数年前から市民の有志で始まっていた「なはの日イベント」
今年から市の行政側も、正式な「なはの日」制定に向け動きはじめ、なは未来室のメンバーを中心に実行委員会に加わり、準備を進めてきました。

パレットくもじ前広場で行われたメインイベントでは、「市長と語ろう明るい未来」と題された那覇市の将来についてディスカッションするフォーラムを始め、那覇にまつわる様々な企画が行われました。

中でも注目を集めたのは、国際通りで大繁盛していた伝説の食堂「井筒屋」のそばを、50年ぶりに復活させようと言う企画で、7月8日の本番に向け準備が進められてきました。
井筒屋でそばを作っていた職人・與那嶺三郎さん(写真右)の指導を受け、新しい沖縄の麺づくりに取り組む「りょう次グループ」のスタッフが、伝説のそば復活に挑戦しました。

りょう次グループ・金城良次さん(写真左)
「極力、昔のそばのイメージになってますんで、きっとおいしいって言ってくれると思っています」

看板職人・喜納景昭さん(井筒屋の看板を再現)
「看板書いた時、井筒屋の思い出が深いんだなとわかりました。映画の帰りの楽しみ、そばが食べられるというね。」

午後7時半、いよいよ伝説の井筒屋のそばが復活を果たしました。

無料で配られた300食のそばに、長い列ができました。

【美味しい!の声があちこちから聞こえます】
はいどうぞーっ
ありがとうございまーす
おいしいー!

故・翁長雄志氏(那覇市長・当時)
「すごい、ほんとにすごい。お世辞じゃなくて、すごい味!」

井筒屋のそばをよく食べていたという男性
「50年ぶりだよ本当に!昔平和通りの入口のとこに井筒屋があったでしょ。毎日来ていたから、田舎から来てね。井筒屋のそば欲しさに来たのよ。井筒屋と聞いて飛ばしてきたのよ。で、おいしい!本当に!ありがとうございます」

りょう次グループ・金城良次さん
「おいしかったって言葉が何より嬉しかったし。メンバーもボランティアも皆さんもね、本当に喜んでくれて良かったと思います。思いっていうかね、なはの日元年にという思いが、みんなのひとつひとつの気持ちが原動力だと思ってます。おそばも、ひとりでできるものじゃないし、まだまだ完璧じゃないんですけど。近い味が出せて喜んでくれたことが私の原動力です。」

イベントの最後には、戦後、奇跡的な復興を遂げた那覇の姿を、国際通りの変遷を中心に映像で振り返る上映会も行われました

スクリーンを見つめる市民達は、那覇の過去から未来へと続く物語に、懐かしがったり驚いたり、様々な反応を見せていました

見ていた人
「車も左通行だったりね、いろんなことがありましたからね。素晴らしかったです。」

「すごい見入っちゃいました」

「良かったですー、昔を思い出して感激しました。」

7月8日を「なはの日に」。
参加したスタッフも市民も、みんなで我が町那覇に思いをはせる。そんな素敵な1日になりました

*当時のリポート制作者・平良いずみアナウンサーのコメント*
あの時、那覇を盛り上げるため集まった方々と、せんだみつおさんの往年のギャグ「ナハナハ」と笑い合いながら(ふるっ)、祭りの準備をしていたことがスイートな思い出です!楽しかったなぁ。またいつの日か、「ナハナハ」ってみんなで那覇の街で笑い合えるイベントに参加できますように。

【OTVライブラリーより/2004年7月9日放送】
※ご紹介している内容は2004年の放送当時の情報です。
※内容の一部を修正して掲載しています。

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