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世界へ漕ぎ出せ!ハーリー UP!!
600年以上の歴史をもつとされる「ハーリー」
沖縄の真夏の到来を告げる風物詩「ハーリー」
鍛え上げられた腕(かいな)から繰りだされる、一糸乱れぬ櫂捌きは圧巻そのもの!!
「糸満ハーレー」など地域によって名称は異なるが、いずれの地域でも海を舞台にした「競漕」は
多くの観衆を魅了してきた。新型コロナの影響で、多くの地域で有観客での開催が見送られている。
こんな時だからこそ、地域で受け継がれてきた伝統行事を見つめなおしたい。
「海洋魂」ゆさぶる!
「ハーリー」とは元来、航海の安全や豊漁を祈願し、サバニと呼ばれる伝統漁船で競漕を行う行事。
このうち、毎年ゴールデンウィークに開催されてきた「那覇ハーリー」は、中国から伝来したとされ、先の大戦で一時中断したもの、その伝統と歴史を今に伝えている。
「那覇ハーリー」は中国「屈原」の故事に由来
「ハーリー」の起源は諸説あるが、その一つに、紀元前時代の中国、「楚」の時代に活躍した「屈原」(くつげん)という詩人に由来する説があるそうだ。
教えてくれたのは「那覇ハーリー」を今に伝える那覇爬龍船振興会・監事の仲本興平さん。
『「屈原」は徳が高い人格者だったそうだが、同僚たちの陰謀で国を追われ、その後汨羅へ身を投げるという悲しい最期を迎えてしまうと伝えられている。その「屈原」の御霊を慰める為に爬龍船を浮かべて競漕したのが「ハーリー」の由来と言われている』とのこと。
ハーリーと”ちまきの関係
さらに、話は続く。
当時の「楚」の人たちは「屈原」の霊を慰める為に竹筒に米を詰め川に投げ入れていたという。
これが中国の「綜子(ちまき)」のはじまりと、「ハーリー」と「ちまき」には深い関りがあった事が、那覇爬龍船振興会が平成元年に作成した機関紙に綴られている。
一方で、今、沖縄で発展している各地の「ハーリー」で「ちまき」をみることはないと思われる。
那覇爬龍船振興会・監事の仲本さんによると『爬龍船競漕が親しまれている「台湾」で、「ちまき」は見たことがあるが、県内ではちまきが根付いている地域は見たことが無い』との事。
「ちまき」の風習が色濃く残る地域の情報があったらOKITIVE編集部までお知らせください。
「那覇」「久米」「泊」が繰り広げる熱戦「本バーリー」!!
那覇ハーリーの見どころ「御願バーリー」と「本バーリー」は「那覇」「久米」「泊」の三隻の爬龍船で競漕する。
爬龍船は、長さ14.5メートル、幅2.12メートル、重さ2.5トンで、船の先に龍の頭、船尾に龍尾が型取られている。
乗組員も「漕ぎ手」32人、「鐘打ち」2人、「舵取り」2人、「旗振り」、「ハーリー歌の歌い手」なども含めると、総勢42人となる。
「那覇」「久米」「泊」の伝統衣装に身を包んだ男たちの、名誉をかけた勇壮な櫂捌きは、見る人の胸を打つ。
沖縄戦、アメリカ統治下を経て、1974年に復活した「那覇ハーリー」
「伝統を通して、地域が、家族が一体となった」
那覇爬龍船振興会・監事の仲本さんも「泊ハーリー」の担い手として、長く先輩達と共に、「那覇ハーリー」に関わってきた1人だ。
『琉球国の行事として発展した「爬龍船競漕」は、1879年の廃藩置県で廃止となった。しかし、伝統行事を絶やしてはならないという先人たちの思いは戦前戦後と脈々と受け継がれている』
と、ハーリーへの熱い思いを語ってくれた。
荒波へ漕ぎ出せ!「ハーリー魂」!
残念ながら新型コロナの影響で「那覇ハーリー」も2020年より3年連続で開催が見送られている。
そんな中でも、伝統の担い手たちは、粛々と技を磨いている。
鐘が鳴り響く中、伝統衣装に身を包んだ男たちが繰り広げる名勝負を見る日が待ち遠しい!!
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