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OTV制作部

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沖縄の伝統行事「那覇ハーリー」を復活させた情熱の男・吉濱照訓

吉濱照訓の自分史【回想90年がらくた人生】より抜粋

「ハーリーこそわが生き甲斐!」

吉濱照訓の自分史【回想90年がらくた人生】より抜粋

沖縄のハーリー文化を今に伝える「那覇ハーリー」。その発展には1人の男の情熱があった。

男の名は、吉濱照訓(よしはま しょうくん)【1907 – 2010】
「那覇爬龍船振興会」を立ち上げ、1928年を最後に中断していた伝統行事「那覇ハーリー」を復活させた。

”泊人”気質のハーリー男

警察官時代の吉濱照訓【回想90年がらくた人生】より抜粋

吉濱照訓は2010年に他界されているので、生前交流のあった関係者も少ない。
那覇ハーリーの運営に携わっている「那覇爬龍船振興会」の資料等から、人物像を伺うことができた。
2000年に発刊された自分史「回想90年がらくた人生」に寄せられた祝辞には、「豪放磊落」「古武士」「超人的なバイタリティー」などの言葉が並び、かなり精力的な印象をうける。

スポーツ万能な青年期の吉濱照訓 ※写真左下

那覇市泊の出身の吉濱照訓は子どものころから地元の「泊ハーリー」と共に成長。
「ハーリーこそわが生き甲斐」として、戦前、戦中、戦後の厳しい社会情勢の中で、出身地である「泊」の仲間18人と共に「泊爬龍船振興会」を設立し、伝統を絶やさないよう情熱を注いできた。

「復活」にむけ仲間と奔走!

吉濱照訓が親しんできた「泊ハーリー」

「ハーリーを自分たちで継承し、後世に伝えねばならない」

「那覇爬龍船振興会」が1989年(平成元年)に発刊した会報によると、吉濱照訓は伝統文化の継承と発展に使命感を燃やしていたという。

1960年(昭和35年)に「那覇大綱挽」が復活した際に、吉濱照訓は泊ハーリーだけでなく、「那覇」や「久米」のハーリーを一堂に会した「那覇ハーリー」として復活できないか思い立ち、資金集めや関係各所への調整に奔走した。

その結果、「御願バーリー」や「本バーリー」で使用される「那覇」「久米」「泊」の三隻の「爬龍船」が建造された。

とまらないハーリー愛!

吉濱照訓の自分史【回想90年がらくた人生】より抜粋

その後も、吉濱照訓の那覇ハーリーへのあくなき情熱は続く。
「那覇ハーリー」を運営する事務局がある「那覇ハーリー会館」の建設資金としてなんと、私財から1億3000万円を投資した。

那覇ハーリー会館

当時のメディアへのインタビューで吉濱照訓は「ハーリーを盛んにすることは私の使命みたいなもの。生きているあかし。生きがいです」と話している。

ハーリー男・吉濱照訓は2010年に他界した。生涯をハーリーに捧げた男の生きざまは泊にある「那覇ハーリー会館」で息づいている。

「那覇ハーリー会館」敷地内に設置されている吉濱照訓の胸像

リサーチクイズバラエティー 変遷しりしり

今回のテーマは「ハーリー」!
2022年7月18日(月)15時50分から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて放送!

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