エンタメ,文化,本島南部,那覇市
沖縄の伝統行事「那覇ハーリー」を復活させた情熱の男・吉濱照訓
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/img044-e1657783126907.jpg)
「ハーリーこそわが生き甲斐!」
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/img038.jpg)
沖縄のハーリー文化を今に伝える「那覇ハーリー」。その発展には1人の男の情熱があった。
男の名は、吉濱照訓(よしはま しょうくん)【1907 – 2010】
「那覇爬龍船振興会」を立ち上げ、1928年を最後に中断していた伝統行事「那覇ハーリー」を復活させた。
”泊人”気質のハーリー男
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/img040-e1657783188583.jpg)
吉濱照訓は2010年に他界されているので、生前交流のあった関係者も少ない。
那覇ハーリーの運営に携わっている「那覇爬龍船振興会」の資料等から、人物像を伺うことができた。
2000年に発刊された自分史「回想90年がらくた人生」に寄せられた祝辞には、「豪放磊落」「古武士」「超人的なバイタリティー」などの言葉が並び、かなり精力的な印象をうける。
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/img041-e1657783229356.jpg)
那覇市泊の出身の吉濱照訓は子どものころから地元の「泊ハーリー」と共に成長。
「ハーリーこそわが生き甲斐」として、戦前、戦中、戦後の厳しい社会情勢の中で、出身地である「泊」の仲間18人と共に「泊爬龍船振興会」を設立し、伝統を絶やさないよう情熱を注いできた。
「復活」にむけ仲間と奔走!
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/img121-scaled-e1657783261113.jpg)
「ハーリーを自分たちで継承し、後世に伝えねばならない」
「那覇爬龍船振興会」が1989年(平成元年)に発刊した会報によると、吉濱照訓は伝統文化の継承と発展に使命感を燃やしていたという。
1960年(昭和35年)に「那覇大綱挽」が復活した際に、吉濱照訓は泊ハーリーだけでなく、「那覇」や「久米」のハーリーを一堂に会した「那覇ハーリー」として復活できないか思い立ち、資金集めや関係各所への調整に奔走した。
その結果、「御願バーリー」や「本バーリー」で使用される「那覇」「久米」「泊」の三隻の「爬龍船」が建造された。
とまらないハーリー愛!
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/img037-e1657783303361.jpg)
その後も、吉濱照訓の那覇ハーリーへのあくなき情熱は続く。
「那覇ハーリー」を運営する事務局がある「那覇ハーリー会館」の建設資金としてなんと、私財から1億3000万円を投資した。
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/IMG_9323-scaled-e1657783318182.jpg)
当時のメディアへのインタビューで吉濱照訓は「ハーリーを盛んにすることは私の使命みたいなもの。生きているあかし。生きがいです」と話している。
ハーリー男・吉濱照訓は2010年に他界した。生涯をハーリーに捧げた男の生きざまは泊にある「那覇ハーリー会館」で息づいている。
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/IMG_9321-scaled-e1657783346688.jpg)
![](https://data.otv.co.jp/okitive/wp-content/uploads/2022/07/shirishiri20220718oaStill0714_00002.jpg)
あわせて読みたい記事