コラム
アナウンサーを志したキッカケは恩師の一言だった【稲嶺羊輔の いつも笑顔で!】
はいさい!
夏本番を迎え、大好きなゴルフに行くたびに日焼けしてしまい、夕刊ニュースで金城わか菜アナと並ぶたびにコントラストが際立ってきている稲嶺です!
(日焼け止めはスタート前だけでなく途中で塗りなおしてますが、沖縄の日差し強すぎ)
照明とカメラの最新機能で何とか黒さをごまかしています(笑)
さて早速本題に入りますが、
皆さんの幼いころの将来の夢は何でしたか?
私の場合は割と転々としていまして、
幼稚園生の時にはカッコいい警察官
小学4年生でゴルフを始めてからはプロゴルファー
幼稚園時代にはちびっ子モデルに起用されたことがあったようです。
自分で言うのもなんですが、可愛らしいですね(*‘∀‘)
その後プロゴルファーの夢は同年代の石川遼選手や松山英樹選手の到来で打ち砕かれ、
高校に入学してからは心機一転、地域医療に貢献する医者を目指すことに。
しかしその夢も長くは続かず、高校3年生の夏に理系から文系に転向。
自分自身、何がしたいのか分からない状態で大学に進学しました。
大学に入学してしばらくは明確な目標が無く、なんとなくの生活を送る日々・・・
夢に向かって日々勉学に励む同級生との差を感じ焦りつつもなかなか行動を起こせずにいました。
就職活動を控えた大学3年生の時。
自分の将来について自問自答していると、ふと小学生時代の記憶が蘇ってきました。
「あなたは将来アナウンサーになりなさい」
当時の音楽の先生に言われた一言です。
私が通っていた小学校では、放送委員に給食時間好きな音楽を流す権限があり、それが目的で放送委員になりました。委員は校内のイベントで司会進行を任されるのですが、運動会のプログラム紹介を終えた後、音楽の先生に「あなたは将来アナウンサーになりなさい」と言われたことを思い出したのです。
小学生時代に撮影した上原彩子プロと宮里美香プロとの記念写真。
当時はプロゴルファーを目指していたので、先生の言葉を特に気に留めていませんでした。
「確かに人前に出るのは苦手ではないし、音楽の先生にそう言って貰えたのだから少しは見込みがあるのかもしれない!」と思い、急いでアナウンススクールに申し込み約半年ほどですが基礎的な発声などを学びました。
大好きな沖縄のためになる仕事がしたいという想いが強かったので県内で業種を問わず就職活動を行っていたところ、縁あって沖縄テレビでの採用が決まり現在に至ります。
いま振り返ると、本当に多くのご縁や支えがあって今があるのだと感じます。
幼い頃から夢が転々としながらも、その都度応援してくれた両親。
アナウンサーという夢のきっかけを与えてくれたかつての音楽の先生。
アットホームな雰囲気で迎え入れてくれた沖縄テレビの先輩方(手前味噌ですみません笑)。
それ以外にも挙げればキリがありませんが、今こうして好きな仕事に打ち込めているのは周囲の人々のおかげだと日々実感しています。
今後も県民の皆さんのためになるニュースを、分かりやすく、なるべく嚙まないようにお伝えできればと思っています(日々反省の日々・・・)。
これまで関わってくれた全ての人々に感謝するとともに
アナウンサーという仕事を通してこれからどんな人々と出会えるのかワクワクしながら
これからも突き進んでいければと思います。
今後とも沖縄テレビを、稲嶺羊輔をよろしくお願いいたします(#^.^#)
イケイケ後輩記者のマネ(イケてない)
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