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OTV報道部

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8月9日「野球の日」に振り返る~沖縄野球ファンの大切な球場~

60年以上の歴史を誇る沖縄テレビのライブラリーより、過去に放送したリポートや、貴重な映像をご紹介します。

沖縄の野球ファンの聖地として、46年間愛され続けた球場がありました。
数々のドラマを生んだ「奥武山野球場」
沖縄テレビのライブラリーより、2006年のお別れセレモニーの記録をご紹介します。

ありがとう奥武山野球場~46年の軌跡~

【OTVライブラリーより/2006年10月2日放送】

野球のメッカとして多くの人に親しまれてきた奥武山野球場が、老朽化のため来月から改修工事に入ります。奥武山野球場46年の歴史を振り返ります。

白球を追いかける多くの野球ファンに親しまれてきた奥武山野球場、しかし近年老朽化が進み、建て替えの声が挙がっていました。

奥武山野球場は、1960年12月10日、県内初の本格的な野球場としてオープン。県民が心待ちにしていた野球場とあって連日多くの人が足を運びました。

奥武山野球場で最初に行われた本土の社会人チームとの親善試合に、キャッチャーとして出場した国吉真介さんは、当時の感動を今でも鮮明に覚えています。

国吉真介さん
「いやー何とも言えなかったですね。私があの時はちょうど21歳くらいですかね、野球をやっていて本当によかったなと。この大観衆の見る中で野球ができたということは、大変誇りに思いました。」

これまで雑誌やラジオの世界だけだったプロの試合が目の前で見られるようになり、奥武山野球場は県民に野球観戦という新しい娯楽を提供しました。

そして高校野球の聖地としてもたくさんのドラマを生んだ奥武山野球場。多くの高校球児が赤土のグラウンドでのプレーに憧れました。

1988年7月23日、沖縄水産高校が5年連続の甲子園出場を決めた

県内最多、春夏通算12回の優勝を誇る沖縄水産。

奥武山野球場には青春を野球に費やした球児たちの想いが詰まっています。

故・裁義弘氏(沖縄水産高校監督)
「ごくろうさんでしたと、悲喜こもごも。県から那覇に移ったりいろいろな歴史があるんですよね、いろいろな思い出をもって本当にありがとうございましたと。新しく変わりますけど、あなたの思い出は一生消えませんという気持ちがあります。」

これまで選手たちの気迫、喜び、悲しみ、すべてを見守ってきた奥武山野球場も、半世紀近くの歴史に終止符を打つときがやってきました。

2006年9月30日に行われたお別れセレモニーには大勢の野球ファンが駆けつけました。

奥武山野球場で長年野球を楽しんだ/嘉納勝さん
「このグラウンドのおかげで自分たちも良い少年時代だった。少年、青年、実年、今、還暦ですからね。野球と切り離せない「絆」を奥武山が作ってくれたんじゃないですか。」

そして公式戦最後の試合「高校野球秋季大会/糸満 対 具志川商業」

選手たちの一振りは試合を見つめる多くの人に奥武山野球場との思い出を蘇らせました。奥武山野球場は惜しまれながらも46年の歴史に幕を閉じます。

*当時のリポート制作者・奥武山野球場を取材していた赤嶺一史カメラマンのコメント*
幼い頃から野球が大好きな私にとって、奥武山球場は甲子園へ続く憧れの場所であり「野球の聖地」でした。老朽化が進みボロボロの状態でしたが、それでも私達にとっては大切な場所で、取り壊しが決まった時はとても寂しくなったのを覚えています。奥武山野球場は、このお別れセレモニーの後建て替えられて「沖縄セルラースタジアム」に生まれ変わりました。球場の姿は変わりましたが、今も昔も、白球を追いかける懸命な姿は変わりません。その魅力をこれからも、カメラを通してお伝えしていきたいと思っています。

【OTVライブラリーより/2006年10月2日放送】
※ご紹介している内容は2006年の放送当時の情報です。
※内容の一部を修正して掲載しています。

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