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普久原 朝弥

普久原 朝弥

金村尚真 リーグを圧倒し続けた北東北の“精密機械” 己を貫き唯一無二の存在へ【羽ばたけ!琉☆球児】(沖縄発 野球応援企画)

富士大学の絶対的エース・金村尚真(かねむら・しょうま)

野球王国沖縄の新たなスターの原石に迫る!シリーズ企画!【羽ばたけ!琉☆球児】

甲子園に出場する学校は母校でなくてもテレビを囲んで応援。
球春到来を告げるプロ野球春季キャンプも毎年県内各地で大盛況。
そんな野球愛溢れるウチナーンチュの皆さん必見!
OKITIVEでは、沖縄県出身のアマチュア野球界の有望選手を紹介する【羽ばたけ!琉☆球児】をシリーズでお届けします。

金村尚真(富士大学・岩手県)
2000年8月29日生/沖縄県豊見城市出身
豊見城ジュニア-豊見城中学校-岡山学芸館高校-富士大学
投手/176㎝・83㎏/右投右打

テイクバックが小さく球の出どころが打者から見づらいフォームからMAX150km/hの力強いストレートとスライダー、カットボール、カーブ、スプリット、チェンジアップ、ツーシームと豊富な球種を制球良く操るゲームメイク力に長けた先発ピッチャー。

“ 無 双 ”
彼の大学4年間を表現するとそんな二文字が浮かぶ。
岩手県富士大学野球部の絶対的エース・金村尚真。
青森、岩手、秋田の3県に所在する6大学で構成する北東北大学野球リーグでプレーした金村は、4年間で通算25勝5敗、262奪三振、防御率は驚異の0.88(※)という圧巻の成績を残した。(※防御率とは、1試合9イニング投げて何点に抑えられるかを数値化したもの。)

さらに金村のリーグ通算成績から特筆すべきは、4年間での与四死球(与えたフォアボールとデッドボールの数)が25個という少なさである。

がっちりとした体格から針に糸を通すような繊細なコントロールが彼の投球の持ち味。
その実力は所属リーグだけではなく全国でも発揮され、春の全日本大学野球選手権では初戦で敗れたものの、延長10回を自責点1に抑える力投を見せプロ球団のスカウト達を唸らせた。

地方リーグながら金村の圧倒的なパフォーマンスへの評価は高い。既に全国屈指のピッチャーとしてその名を轟かせている彼は、今秋のプロ野球ドラフト会議での上位指名を目されている存在である。

沖縄で過ごした豊見城中学校時代は、全日本少年軟式野球大会優勝を経験。そして、U-15侍ジャパン日本代表にも選出されアジア選手権に出場するなど、全国・海外など大舞台での経験も豊富。

厳しい雪国での大学野球生活で磨いた技術と精神力でさらにレベルアップした南国沖縄生まれの右腕は、運命のプロ野球ドラフト会議を前に今何を思うのか。その心境に迫った―――。

――今日は宜しくお願いします。富士大学での4年間を振り返ってみていかがですか?

金村
「自分は一年生の頃から試合に出させてもらって、大事な試合を任されることも年々増え、責任感も持たされる立場で結果を出し続けて来られたのは、やはりメンタル面が一番成長できたことにあると思う。僕にとってこの大学4年間は今まで続けた野球生活の中で一番成長できた4年間だとは自分では思います。」

――大学2年春には新型コロナウイルスの影響でリーグ戦の中止もあった。コロナと共存しながらの野球生活はどう感じていたのでしょうか?

金村
「2年春のリーグ戦中止もそうですし、2年秋も多少コロナの影響で練習ができなかったり、そのなかで自分が出来ることをやり続けたことで結果を残せた。コロナにしっかり対応できたのは自分の強みだと感じたので、そこはコロナだから野球が出来なくなったとか自分の中で言い訳を作らないようにやってきてそれが結果に繋がったと思います。」

――そんな中で、4年間でここまでリーグで圧倒的な成績を残せた要因というのは?

金村
「こういうと失礼になってしまうんですが、関東の東都、六大学に比べるとやっぱり少しリーグ自体のレベルはあまり高くない。こういった結果になって当然と常に自分に言い聞かせてやっていました。良い結果を出し続けていても、いつも『どこか悪いんじゃないか?』『結果に対して自分をあまり褒めない』というか、どんなに良い結果でも悪い部分はあると思うのでそこを突き止めていった結果、自意識過剰にならずに練習に取り組むことができたので、それが一番の要因かと思います。」

――かなり高い意識で自己管理をしていたように思えますが、気が緩む瞬間は無かった?

金村
「本当に全くないって感じでした。気が緩んでしまうと自分は一気に緩んでしまう性格なので、リーグ戦終わって体を休めたい時にしか緩めなかったですね。自分の目指している場所はやっぱりプロ野球なので、そこに行くためにはまだまだダメだって自分の中では感じていたので、どれだけ良い結果を残しても練習ではしっかり気を抜かないっていうのは心の中に刻んでやっていた。そこにはやっぱり絶対プロ野球に行きたいっていう思いがあったからこそ練習を抜かないことに繋がったと思います。」

――プロ志望届を提出されて、今の気持ちは?

金村
「リーグ戦も終わって今は引退という立場で、あとはドラフト会議を待つだけっていう形になっているんですけど、周りからの声はたくさん頂いていて、『楽しみにしているよ』『応援してる』だったり、そういう声を聞くと周りを楽しませられていると思うけど、自分自身は常にドキドキしているので(笑)本当に早くドラフトの日になってくれないかなっていう一日一日が長く感じますね。」

――東北の地で野球をする困難、沖縄とのギャップを感じるのは?

金村
「一番は寒さですね。沖縄は11月あたりまで半袖でいられますけど、東北は10月になると半袖ではいられない環境になるので。沖縄の過ごしやすさから、やっぱり良い場所だったんだなって気づかされます。岩手は雪も降ってくる寒さで、練習でも体が動かないこともあったり、ここに来て1、2年は寒さで野球どころじゃないっていう状況でした(笑)
12月1月は雪でグラウンドが全く使えず、毎回雪が積もるたびに皆で雪かきをしてキャッチボールをするスペースを作るんですけど、気温がマイナスとかいっちゃうので、キャッチボールやっても肩がずっと温まらなかったりとか。雪は室内で走ったりとか自分のフォームを修正したり、ウエイトトレーニング、本当に体を作ることに専念する感じです。今思えば、逆にそういう見直しの時期をつくれて良かったのかなと思います。」

――金村投手自身も進学をきめたときはある程度覚悟の上だった?

金村
「そうです…ね。でも本当に自分の思っていた倍くらい雪も積もるし寒かったので。想像がつかない、ある程度できるだろうと思っていたんですけど、やっぱり来てみると寒くてって感じで。沖縄がいかに野球をする上で恵まれた環境だったかを改めて感じましたね。」

――持ち味はやはり与四球の少なさ、コントロールの精度で取り組みは??

金村
「(少し考えて…)コントロールに関しては、本当に何もやっていないんです。これといった練習法っていうのも無くて。意識していることでいうと、リリースの位置を安定させることと、キャッチボールでしっかり狙ったところに投げる。そんな基本的なことしか意識していなくて。ここでリリースしたらある程度ストライクゾーンに行くだろうなっていう感覚が自分の中であるので。感覚で投げています。後輩とか記者の方にもよく聞かれるんですけど、本当に特別な事は何もしていない。自分は感覚が良いと思うんですね。その感覚を大事にしています。」

――憧れている野球選手、目標としている選手はいますか?

金村
「今はそこまであまりこの人目標にしようっていうのがそこまで無くて。昔は広島にいた前田健太投手が好きで、投げ方とか真似したりしたことはあるんですけど。今はこの人のようなピッチャーになろうって考えではなくて、自分のスタイルというかピッチングの形でプロに挑戦しようと思っているので。自分の力を試したいっていう思いの方が強いです。」

⚾金村尚真の俺を育てた “地元メシ”

金村家の食卓に並ぶ母の手作り沖縄そば

金村
「自分は母が作った『沖縄そば』が一番美味いと思っているんで。お店に行くより美味いと思っています。今でも沖縄に帰って、初日に何食いたい?って聞かれたら、沖縄そばって答えるくらいずっと食べています。ダシから作っているんですよ。やっぱりそれが一番美味いです。ちょっと小腹すいた時とかにさっと作ってくれて。小さい頃からずっと食ってきているものなので一番印象にあります。」

⚾野球で夢を叶えて“恩返し”

金村
「指導してくださった監督。少年野球、中学・高校、大学と色んな指導者に会ってきましたし、そういう人たちに指導してもらって今の自分があると思います。時には指導者の方にイラついていた時期もありましたが、指導してもらったことに感謝しているので、良い選手になってその時の指導が間違っていなかったと示したい。あとは県外に出て活躍するプロ野球の選手たちを夢見て自分も県外に出て野球をやってきたので。沖縄の地を出ても活躍できるということを、今から高校野球に進む中学生だったり、夢を与えられるようになれたらそれも恩返しになると思うので、『これまで出会った指導者』と『沖縄』に恩返しできる選手になりたいと思っています。」

――最後に今後の意気込みを聞かせて下さい!

金村
「今はプロに入ることを目標にやっているんですけど、プロに入っても、次のステップに進むにしても、そこを代表するピッチャーになりたいと思っています。今一番自分の中で理想像にしているのは、「勝てる投手」になること。長年ずっと勝てるピッチャーに。難しいことなんですけど。そのなかでケガも少なく、試合に出られてなおかつしっかり勝つことができるピッチャーになりたいと思います。」

*取材後記*
力強い言葉の裏側には、故郷を離れ徹底した自己管理のもと厳しい4年間を過ごしてきた自負、そこから見据える新たなステージでの活躍にかける思いなどが伝わってきました。今ドラフトでも全国的に注目される目玉選手の一人。ぜひ県民全体で応援しましょう!

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