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新里 一樹

新里 一樹

「沖縄で起業し、世界へ羽ばたく挑戦者を支えたい」豊里健一郎さんインタビュー

新里一樹 Me We OKINAWA

私のコラムは沖縄県が掲げる「稼ぐ力」をキーテーマとして、これまで沖縄の”食”や”特産品”に焦点を当ててきた。今回からは分野を変えて、沖縄だけでなく、日本再興のカギを握るとして位置づけられている、スタートアップ界隈に目を向けてみたい。今日は株式会社Link and Visibleの代表で「コザスタートアップ商店街」の豊里健一郎さんに話をうかがう。

目次

スタートアップが生まれるために必要なエコシステム

スタートアップ企業を輩出するためには、同時に、エコシステムの構築が必要だといわれている。エコシステムとは何か?一言でいえば生態系である。語源は英語の「ecosystem」から来ており、ビジネスの観点からは、企業や製品、サービスが互いに連携することによって大きな収益構造を作っていくことを意味する。

スタートアップやベンチャーのエコシステムとなると、少なくとも下記の4要素が集まってスタートアップエコシステムが形成されるという。
(1)ビジネスアイデアを持った起業家
(2)投資家・金融機関・自治体などの資金提供者
(3)大学や研究機関からの”知”のサポート
(4)ビジネスアイデアをブラッシュアップしたり世のなかに発信する”場や機会”

スタートアップとエコシステムを育む街づくり

ただし、エコシステム構築のベースとなるのは、魅力的な街といわれている。この魅力的な街があるからこそ、これが吸引力となって起業家が集まり、そこに資金や知能、場が形成される。これらを整理すると、沖縄からスタートアップを輩出するためには、そのスタートアップが生まれる素地を作る必要がある。素地のレイヤーは2層に分かれており、1層目のレイヤーは魅力的な街づくりで、2層目のレイヤーがエコシステムということになる。

スタートアップを育むために必要な要素のイメージ図
スタートアップを育むために必要な要素のイメージ図

さて、実際にこれらスタートアップが生まれる素地(2つのレイヤー)を創るために、まさにいま、活動している人がいる。それが株式会社Link and Visible代表で「コザスタートアップ商店街」運営の中心に立っている豊里健一郎さんだ。

スタートアップラボlagoon代表を経て、現在はコザスタートアップ商店街の代表を務める豊里健一郎さん
スタートアップラボlagoon代表を経て、現在はコザスタートアップ商店街の代表を務める豊里さん

豊里さんは、コザの街に生まれ、幼少期をコザの街で過ごし、かつて賑わいを見せていた街が、時代の波にのまれて衰退する様子を見てきた。商店街で商売をしていた母親の勧めもあり、中国へ留学。そして現地で就職し、その期間、外から沖縄を客観的に見ることになる。

そんな豊里さんが沖縄に戻り、地元コザでスタートアップが生まれる素地作りのプロジェクトにかかわるのはなぜか?豊里さんの幼少期からその答えを探りながら、それがいまにどうつながっているのかを見つけ出したい…。そんな想いで豊里さんへのインタビューをおこなった。

コザスタートアップ商店街主宰、豊里さんの生い立ち

――豊里さん本日は宜しくお願いします。まずは豊里さんの幼少期と今がどうつながっているのか知りたいので、豊里さんの生い立ちと、育った家庭環境について教えてください。

豊里さん
「私は父も母もコザの街で商売をしている家庭で育ちました。母は商店街で子ども服を売っていましたし、叔父も、叔母も商店街の裏通りでレストランを営んだり、洋服屋さんを営む商売人の一家でした。」

――豊里さんの幼少期は、今から約30年前という事になると思いますが、その頃のコザの街の様子を覚えていますか?

豊里さん 
「私自身、本当に物心がつく前から商店街で走り回って、やんちゃしていたと記憶しています。いまと違って、ゲームセンターもおもちゃ屋さんもたくさんあり、遊び場に困らない環境でした。そんな商店街でミニ四駆を走らせたり、スケートボードをしたり、商店街のアーケードに登って鬼ごっこなどをして遊んでいました。

季節になると七夕まつりや、本物かわからない雪が降る雪まつりなども商店街で開催されて、人をよけないと通れないほど活気にあふれていました。迷子の放送なんかもひっきりなしに流れていました。」

幼い頃の豊里健一郎さん。母親が店舗を構えていた一番街商店街を駆け回り、ウーマク―(沖縄方言でやんちゃ)と言われていたとか。
幼い頃の豊里さん。母親が店舗を構えていた一番街商店街を駆け回り、ウーマク―(沖縄方言でやんちゃ)と言われていたとか。

――当時の一番街は賑わっていたのですね。それはいつまで続いたのでしょう?

豊里さん
「確か、私が中学生になる頃には商売の形態がどんどん変わった気がします。北谷町美浜の開発が急速に進んだり、郊外に大型商業施設がオープンして。若い人を中心に、買物と言えば美浜や大型商業施設に行くようになりました。その頃からですかね、両親の商売に少しずつ陰りが見え始めたのは。より魅力的な店舗を求めてヒトの流れが明らかに変わっていくのを、両親の商売や街の様子から、何となく感じながら中学生活を過ごしていたように記憶しています」

転機となった高校生からの中国留学

――その後、高校生になるタイミングで豊里さんは中国に留学に行き、大学進学、現地で就職されます。外から見た沖縄はどうでしたか?

豊里さん
「意外に思われるかもしれませんが、私が高校生で中国に留学したときに感じたのは『コザの街は都会だったな』ということです。私が留学したのは中国にある沖縄のような島、海南島です。当時の中国はまだWTO(世界貿易機関)にも加盟していないような状態で、発展途上にある国でした。ただ、海南島にいるヒトには活気がありました。」

――それは、どのような活気ですか?

豊里さん
「国がこれから発展していくエネルギーを感じるというか。生活はまだまだ豊かではないけれど、国が少しずつ豊かになっていくなかで、そこに住む個人個人が『もっと稼ぎを上げたい。車を買って、家を持ちたい』と夢を持ってギラギラしていましたね。

私はコザの街が衰退する様子を横目に見ながら中国へ留学したのですが、這い上がろうとしている当時の中国に身を置けて、非常に刺激を受けました。おかげでホームシックになることなく、とても楽しい学生生活を過ごしました」

――そこから現地中国で就職し、その後なぜまた沖縄に戻ってこようと思ったのでしょうか?

豊里さん
「大学卒業後は日本法人の中国支社に勤めました。キャリアを重ねる一方で、やはり自分で起業したいなという気持ちが常にどこかにありました。そこで30歳になるタイミングで会社を辞めることにしました。」

中国で社会人生活を送る豊里健一郎さん
経済成長する中国で社会人生活を送った豊里さん。キャリアを重ね、いつか起業したい気持ちが常にあったという。

豊里さん
「中国にいながら上海、香港、深圳のいずれかの地域で起業しようと考えていましたが、深圳-上海、深圳-北京で片道3時間以上離れて遠い上に移動費も高い。その点、沖縄は既にLCCが飛んでいて、香港、台北、上海の距離が3時間圏内で移動費が安い。天秤にかけたときに、アクセスの良さが決め手となり、沖縄に戻って起業する決意をしました。ちょうどこの頃、私の地元コザの商店街でスタートアップ支援をしていることを知りました。」

沖縄→中国、そして再び故郷沖縄へ

――そうだったのですね。実は、私はスタートアップカフェコザ立ち上げ時のオープニングパーティやセミナーに参加したことがあります。てっきり豊里さんはこのスタートアップカフェにジョインするために戻ってきたと思っていましたが、そうではなかったのですね。

豊里さん
「当初の目的はそうではありませんでした。帰国してからは起業に向けて準備を進めました。2017年頃のことです。スタートアップカフェにもお世話になりつつ、受託開発業務を請け負ったりしながら、独自のサービスをローンチしようと、定期的に海外のカンファレンスにも参加していました。

地元コザでスタートアップ支援をしているのは非常に面白い取組みだと感じる一方で、スタートアップを生み出すためのエコシステム構築にまだまだ課題があるなと思うところもありました。」

――そこからどのようにスタートアップ支援にかかわるようになったのでしょうか?

豊里さん
「沖縄市などから『スタートアップ支援事業もやってみないか』とお声掛けをいただきました。私がかかわるようになったのは、名称がスタートアップラボラグーンに代わってから。代表として2019年4月~2022年3月まで活動しました。

ラグーンとはサンゴの群生によって囲まれ外海から隔てられた浅瀬のことで、そこでは生物が外海と隔てられても共生していける生態系が構築されています。つまりラグーンにはエコシステムがあるのです。私たちは、起業家を育んでいくためのエコシステムのような存在でありたいとの想いで名付けました。」

沖縄でスタートアップやエコシステムを育むには?

――スタートアップや起業家を生み出すには、それとセットで地域資源としてエコシステムを育む必要であると、いまの説明でよく理解できました。ところで『沖縄にはまだまだエコシステムの在り方に課題がある』とうかがいましたが、具体的に何が足りないのでしょうか?

豊里さん
「エコシステムを育むには、人的資源、経済資源、行政支援や士業のサポート、インフラ整備など色々な要素が必要です。ざっと各要素を説明しますね。

まず人的資源ですが、初期段階におけるスタートアップの基本構成はのはCEO、CTO、CFOです。起業アイデアを持ったCEOだけでなく、そのアイデアをカタチにするCTO、資金調達するCFOが必要です。第一線で経験を積んだこれらの人材を沖縄県外からいかにして呼べるかという問題があります。

次に経済資源ですが、これはベンチャーキャピタルや金融機関、補助金など資金調達へアクセス可能なチャネルがどれだけ整備されているかということです。それらを活用するためにも行政施策や士業サポートが必要です。

これらの要素が点になっていた沖縄のなかで、私たちは点と点を結んで線にしていくことに取組みました」

沖縄から世界へ羽ばたくスタートアップを輩出するには、それを育む環境=エコシステムが必要と説明する豊里健一郎さん。
沖縄から世界へ羽ばたくスタートアップを輩出するには、それを育む環境=エコシステムが必要と説明する豊里さん。

――鶏卵問題のような質問になりますが、沖縄でスタートアップを生み出すには、起業家や起業家を志す人を増やすのが先か?あるいは、エコシステムを育むのが先でしょうか?豊里さんの考えをお聞かせください。

豊里さん
「そうですね、沖縄でスタートアップを生み出すには、起業家を増やすよりもエコシステムを育む方を優先すべきだと、私自身は思っています。

沖縄って、起業率も高ければ廃業率も高い。私は良くも悪くもスタートアップを生み出すには、このような多産多死は必要な要素だと思っています。それと、沖縄の気質だと思いますが、いい意味で安定志向ではない人が多い。仮に失敗しても家族が近くにいるので、食えなくなるわけではありません。ほっといても起業したいというマインドセットを持った人が生まれやすい環境が、沖縄だと思っています。ただし、失敗を失敗のまま放置しないこと。失敗には再現性があるといわれているので、なぜ失敗したかを周りと共有して次の挑戦に活かしてほしいとメッセージを発信しています。

一方で、問題はエコシステムだと思っています。スタートアップの芽が出てきたときに、これを育み、より強いスタートアップにしていく”装置”がなければ育ちません。事業拡大に必要な資金にアクセスしてもらい、沖縄県内の小さなマーケットを見るのではなく、ある程度準備運動ができた段階で、国内マーケットやアジアのマーケットにアクセスしないといけない。これができていないのは、エコシステムに責任があると思います。沖縄のなかに留めるのではなく、沖縄から外に目線を向け、外でしっかり稼ぐんだというマインドを持ってもらう。そのためには、エコシステムも外部からヒトやネットワーク、資本をどんどん呼び寄せるような試みが必要です。」

エコシステムの土台となる魅力的な街づくり

――なるほど、よく理解できました。いま、豊里さんはスタートアップラボラグーンを離れて、コザスタートアップ商店街という『街づくり』を取組んでいますよね。街づくりに移行したのはなぜでしょうか?

豊里さん
「すごく単純に言ってしまうと、僕が住みやすい商店街にしたいと思ったからです(笑)。

もちろん幼少期から中学生の思春期をここで過ごしたこととも繋がっていますが、ラグーンにいた頃に、『近くにおいしいコーヒーショップがあったらいいな』とか、『沖縄県外の人と地域の人が気軽に交流できる場が近くにあったらいいな』というのを日常的に感じていました。だったら自分が理想とする街を作っちゃえばいいんじゃないか?という発想から来ているんです。

さきほど、沖縄には起業家マインドを育みやすい気質があるといいましたが、これと似ていることが他にもあるんです。コザの街って戦争特需などもあって、沖縄全土から一攫千金を求めて商売人が集まって形成された歴史があります。アメリカ軍属の人をもてなすためにバーが立ち並び、一晩でドラム缶がお金で一杯になるほど稼いだという人も。そしてそのバーにはロックスターを夢見た多くのミュージシャンが訪れ、夜通し演奏して米軍を楽しませました。ときには喧嘩に巻き込まれたり、ビール瓶を投げつけられてもロックスターへの夢を持ち、一攫千金を得るためにへこたれなかった。まさにロック魂を持った人が多くいたのがコザの街なんです。」

かつてはネコすら通らないと言われた一番街商店街。廃れてしまった商店街は、時を経て今、再び活気を取り戻そうとしている
かつてはネコすら通らないと言われた一番街商店街。廃れてしまった商店街は、時を経て今、再び活気を取り戻そうとしている

――おー、なるほど!ようやく謎が解けました。以前、クラウドファンディングの返礼品に「KOZA ROCKS!」と書かれていた紙が添えられていて。いったいどういう意味だろう?と疑問に思っていたんです。あれはそこからきていたんですね。

豊里さん
「そうなんです(笑)。こういう歴史的なストーリーから、コザスタートアップ商店街のオープニングイベントのテーマや、街づくりをするキーワードとして『KOZA ROCKS!』が生まれました。

コザスタートアップ商店街は、沖縄で何かしらスタートアップが集積する中核的施設としてブランディングしています。スタートアップのインフラとなる街を作っているイメージです。でも誰が『スタートアップ商店街』と呼び始めたのか、実は分からなくて。スタートアップがインキュベーションやオフィスを持ったり、カフェがあって、交流できるソーシャルバーがあって、それがどんどん発展してモールみたいになったらいいね、と話してたのがいつの間にか現実になっている。そんな感じなんです。

おかげさまで出店したいという問合せも増えているのですが、空店舗の関係で、待ってもらっている状況です。」

かつてコザで一攫千金を夢見たロックスターたちにちなみ、コザスタートアップ商店街の合言葉は「#KOZA ROCKS」
かつてコザで一攫千金を夢見たロックスターたちにちなみ、コザスタートアップ商店街の合言葉は「#KOZA ROCKS」

コザスタートアップ商店街とコザの街、今後の展望

――廃れてしまった商店街を、どう立て直すか?ということに非常に苦労されている様子を、私も見てきました。現在豊里さんはスタートアップのインフラとなるべく、商店街のリブランディングに注力されています。この先の展開はどのように考えていますか?

豊里さん
「課題として捉えているのは、沖縄アリーナができて沖縄県内外からたくさんの人が集まるようになりましたが、一番街に人が増えたか?というと増えていないんですよね。せっかく多くの人が沖縄市を訪れるきっかけになる立派な施設があるのに、一番街への回遊が進んでいません。商店街が本当に賑わいを取り戻すには、沖縄アリーナからの動線だったり、街のなかでの回遊性をいかに高めるか?という課題があると考えています。

そしてもっと突っ込んで考えると、『賑わい』というファジーで定性的な要素を、定量的に捉えることも必要です。賑わいを定量的に捉えうるハード面と、賑わいを作り出すソフト面とを創出できれば、県外の同じような環境の商店街にも応用可能なモデルになると思うんです。

併せて、アイデアを持った方が、コザの街でそのアイデアを社会実装し、どこよりも早く実証実験ができる場所にしていきたいです。いまコザスタートアップ商店街には40社ほどの企業が集まり、起業家も年に70人輩出していますが、まだまだ入居企業を増やしていきたいです。やっぱりここに来る人たちって、『新規事業を生み出して、次の50年続くものを創りたい』だとか、『新しい価値を生み出したい』と考えている企業さんが多いです。自分のアイデアで挑戦したい、起業したいという方にぜひ来ていただきたいですね。」

――スタートアップが誕生するには、それを育むエコシステムと、そして魅力的な街が必要ということがよく理解できました。今日はたくさんお話をうかがわせていただき、ありがとうございました。

豊里健一郎さんは「自分のアイディア」や「新しい価値を生み出して沖縄から世界へ発信したい」という高い志を応援する街づくりに取組んでいる。
「自分のアイディア」や「新しい価値を生み出して沖縄から世界へ発信したい」という高い志を応援する街づくりに取組んでいる。

インタビュー後記

インタビューを終えて、豊里さんが「地域のためにというだけではなくて、自分を主語として、自分自身のために挑戦するべきだ」と強調していたのが印象的だった。

明るい未来を創造するための挑戦を応援し、世のなかの変容に翻弄されながらも、やがてその変容を受け入れ、適合しようと模索しながらそこに在り続ける。それがコザの街だという。豊里さん自身が地元コザの退廃と留学先中国での勃興を経験し、その後、自身の起業を通して、スタートアップを生み出すための素地として何が必要なのかを具体的かつ立体的に捉えている。そういう印象をインタビューから受けた。

豊里さんの挑戦は、コザの街が再び賑わいを取り戻すまでまだまだ続く。最後に、「新里さん、ぜひコザの街に来てください。続きはまたそのときに話しましょう」といってくれた。こういう考えを持った人材が身近にいて、実際に会いに行けるというのも、沖縄の魅力のひとつではないだろうか。

次回は、沖縄から運転代行マッチングサービスを全国へ展開している、株式会社アルパカラボ代表の棚原生磨さんに話を聞く。お楽しみに。

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