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「錦衣帰郷」の心を支えた「汗水節」

1928年に誕生し今なお歌い継がれる「汗水節」

八重瀬町に佇む「汗水節の碑」

「汗水ゆ流ち 働ちゅる人ぬ♬ 心嬉しさや 他所ぬ知ゆみ♬ 他所ぬ知ゆみ♬ ユイヤサーサー♬ 
他所ぬ知ゆみ♬ シュラヨ シュラ 働かな♬」

のどかなメロディーで奏でられるのは「汗水節(あしみじぶし)」。きっと沖縄で暮らした経験のある方にはお馴染みの曲だろう。1928年、旧具志頭村(現:八重瀬町)出身の「仲本稔」が作詞し、「えんどうの花」などで知られる「宮良長包」が作曲。今なお歌い継がれる沖縄を代表する民謡の一つである。

「ソテツ地獄」

1920年代沖縄は「ソテツ地獄」と呼ばれる貧しい時代だった

歌が誕生した当時の沖縄は「ソテツ地獄」と呼ばれるとても貧しい時代。当時の暮らしを綴った資料によると、日々の生活も苦しかったことから、「ジュリ売」・「糸満売り」など、口減らしのために子どもを手放さざるを得なかった家庭もあったようだ。今からおよそ100年前の沖縄では悲しい別れを余儀なくされる家族がいたるところにいた。そういう背景の中で誕生した歌が「汗水節」。「勤労」・「倹約」・「貯蓄」を推奨する歌はやがて、沖縄全土に広がり、やがて沖縄から海外へ渡った移民にも親しまれたと考えられている。

「錦衣帰郷」を誓い海を渡る

より良い暮らしを求めて多くの人々が沖縄から海外へ渡った
海外へ渡った移民の家族写真(資料提供:具志頭歴史民俗資料館)

家族のため。生きるため。より良い暮らしを求め、かつて沖縄からハワイや南米などへ多くの人々が渡った。「いつの日か故郷に錦を飾りたい」。しかし、大きな夢を抱いてたどり着いた新天地では過酷な現実が待ち受けていた。

過酷な環境に直面した海外移民

団結して移民先での困難を乗り越えたウチナーンチュ(資料提供:具志頭歴史民俗資料館)

言葉も通じない慣れない土地での過酷な労働や疫病。幾多の困難が待ち受ける中、県系人は助け合いながら自分たちの生活を整えていった。やがて、その子弟である「2世」や「3世」の世代になると、会社を興したり、海外の地で「名士」と認められる県系人も出てきた。そんな彼らを支えたものは家族や仲間との絆や故郷への思い、そして故郷の芸能・民俗。「汗水節」は海外移民達の支えになった。

海外移民を支えた民謡「汗水節」

沖縄テレビの番組「沖縄発われら地球人」
世界中のウチナーンチュコミュニティーを訪ね歩いた前原信一キャスター(当時)
海外の沖縄コミュニティーでもシーサーは健在
番組ではアメリカやスペイン、ボリビアなど世界中のウチナーンチュを取材

それを裏付けるエピソードを沖縄テレビのアーカイブで発見した。かつて放送していた番組の名は「沖縄発われら地球人」。元沖縄テレビアナウンサーの前原信一氏が海外へ渡ったウチナーンチュを追った名物番組だ。

故郷の歌で過酷な労働も乗り越える

ブラジルでパンメーカーを創業した与那嶺清照さんをインタビューする前原キャスター(1993年)
「足水節」を口ずさむ与那嶺清照さん(1993年)

1993年に放送した「ブラジル編」で取材した与那嶺清照さんがインタビュー中、「汗水節」の一節を口ずさむ場面がある。与那嶺清照さんは行商からスタートしブラジル国内で有名なパンメーカーを立ち上げた成功者の1人だ。当時、寝る間も惜しんで一生懸命働いた海外のウチナーンチュが口ずさむ「汗水節」。私たちがふだん何気なく聞いている音楽が世界と故郷を繋いでいることを実感した。

世界と沖縄を繋ぐ伝統芸能

「第7回世界のウチナーンチュ大会」に合わせて故郷でルーツを確認する県系人

新型コロナの影響で6年ぶりに開催された「世界のウチナーンチュ大会」に合わせて、「汗水節」が誕生した八重瀬町にもさまざまな国の県系人が里帰りをした。その中には3世・4世・5世と3世代で参加する家族の姿も。かつて故郷を離れた祖先の魂を抱いてルーツを確認する時間はとてもエモーショナルだ。そんなエピソードをもつ、民謡「汗水節」。お時間ある方はぜひ聞いてみてください。

そんな「汗水節」が生まれた地・八重瀬町のイベントを紹介した特別番組が12月18日(日)に沖縄テレビにて放送されます。ぜひご覧ください。

結ぶ つなぐ やえせから世界へ YAESE結フェスタ2022

結ぶ つなぐ やえせから世界へ YAESE結フェスタ2022
2022年12月18日(日)16時30分から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて放送!

>番組情報はこちら!

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