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人生フルスイング ~実演家・神谷武史

野球経験者でかつ、野球以外のフィールドで活躍している人物にスポットを当てる「人生フルスイング」
第2回目は「組踊」など、沖縄芸能の舞台で活躍する実演家で沖縄県立芸術大学講師の神谷武史さんにフルスイング!
野球歴:志多伯ファイターズ(八重瀬町)⇒東風平中(八重瀬町)⇒糸満高(糸満市)
神谷武史さん(本人提供)

神谷武史さんが野球を始めたのは八重瀬町(旧東風平町)の少年野球チーム。地元・志多伯にある「志多伯ファイターズ」でキャプテンを務めたそうだ。
志多伯には地域の人々が守り継いできた、伝統の「棒術」や「獅子舞」も継承されていて、野球のコミュニティは自然と地元の「民俗・芸能」の継承へと繋がっていったという。

多様な芸能・民俗が息づく八重瀬町


沖縄には古くから地域ごとに守り育てられてきた多様な芸能・民俗が存在する。
神谷さんの出身地である八重瀬町には「棒術」をはじめ、「獅子舞」「安里のウフデーク」「新城のシーヤーマー」などが地域ごとに受け継がれていて、少年野球チーム「志多伯ファイターズ」がある「志多伯」も「豊年祭」の時期などには、地域の子どもからお年寄りまで、芸事を磨く。




CHANGE☆野球⇒芸能
野球と並行して「沖縄伝統空手」の道場にも通っていた神谷さん。
空手の動作は舞踊にも活かされ、地域の祭りで大活躍。ある日、舞踊の先生に「筋が良い」と褒められたのをきっかけに「芸能」の道も考え始めたそうだ。
一方の野球は進学した糸満高校で野球部に所属するも、なかなか身長が伸びなかったこともあり、退部することになった。
『親が期待してただけに、野球をやめることを説得するのが大変だった』と振り返る。
沖縄県立芸術大学で本格的に芸能の道へ

芸の道を選択した神谷さんは高校卒業後、「沖縄県立芸術大学」へ進み、「組踊」などを本格的に学んだ。
同じころ、出身地である八重瀬町を舞台にした組踊「身替忠女」の台本が新たに発見された。役者として舞台制作に関わるなかで、改めて地域に息づく芸能・民俗の素晴らしさを実感したという。


野球も芸能もチームプレー

現在、実演家として活躍しながら、沖縄の芸能を取り入れた「創作舞踊」など、多くの舞台演出を手掛ける神谷さん。
「芸事は個人が技を磨き、修練させるもの」としたうえで、「舞台は役者・踊り手・唄者・照明・音響などチームワークがあって一つの作品として完成する。」と強調する。
さらに「地域に伝わる芸能・民俗も継承する為には担い手だけでなく、行政などのバックアップが必要。そういう意味で野球で培った考え方は今も役立っている」と、沖縄の伝統芸能を盛り上げたいとの思いをたぎらせている。

コロナ禍の中、地域の祭りやイベント等の中止が相次ぎ、伝統芸能の継承にも影響がでている。そうしたなかで、神谷さんのような実演家であり、演出家として、地域の芸能に詳しいプロの活躍が期待される。
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