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真境名 育恵

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沖縄の旧暦行事「ジュウルクニチー(十六日祭)」 ~仏壇持ち家庭の窓から~

筆者生家の「ジュウルクニチー(十六日祭)」
筆者生家の「ジュウルクニチー(十六日祭)」

読者のみなさん、こんにちは!ライターの真境名育恵(マジキナイクエ)です。

年中行事では「旧暦」を重んじる沖縄も、日常的には「新暦」基準で生活しています。
毎年2月に入る頃になると、今年度中に終わらせたい仕事があれもこれもと立て込み、それと並行して年中行事が重なって、公私ともに慌ただしいという方も多いのではないでしょうか。

そんな沖縄の旧暦行事について、「仏壇もちの家」に生まれた筆者自身の経験も交えながら綴っていきます。どうぞよろしくお付き合いください。

今回は、沖縄の年中行事「ジュウルクニチー(十六日祭)」をご紹介いたします。

目次

「ジュウルクニチー(十六日祭)」とは?  

「沖縄にはお正月が3回ある」という話を聞いたことはありませんか。それは、

1:新暦のお正月
2:旧暦のお正月(旧正月)
3:あの世のお正月(グソーヌ正月)

です。今回ご紹介するジュウルクニチー(十六日祭)は、あの世のお正月のことで、旧暦の1月16日に行われます。

沖縄では旧正月を祝ったあと、あの世の正月と呼ばれるジュウルクニチー(十六日祭)を行います。旧暦1月14日~15日はソーグヮチグワァー(小正月)といわれ、生きている人間の正月の終わりとなります。正月飾りなどもこの日に片付ける家庭が多いです。

そして、その翌日、旧暦1月16日からはあの世の正月、ジュウルクニチー(十六日祭)がはじまります。この日からご先祖さまへの墓参りが許され、家庭内では仏壇にお線香やお供え物をして、手を合わせます。ジュウルクニチー(十六日祭)は、シーミー(清明祭)や旧盆と並ぶ、盛大な先祖供養なのです。

いつやるのか?(旧暦で毎年1月16日)  

「ジュウルクニチー」は毎年、旧暦の1月16日に行われるご先祖さまへのお祝い(御願/ウガミ)で、2023年は新暦2月6日に行われます。

グソーヌ正月(グソーとは、後生であの世の正月という意味)といわれ、一族で墓参りして重箱などを供えて先祖を祀ります。特に宮古島、八重山、久米島の離島や沖縄本島北部で盛大に行われます。沖縄本島中南部では墓掃除をして、仏壇に簡単なお供えをする程度といわれています。

また、一年以内に死者がでた家庭では、ミージュウルクニチー(新十六日)といって、墓前と仏壇に重箱を供えて、親族や地域の人たちも個人宅に焼香に訪れます。

お供えもの

ジュウルクニチー(十六日)では先祖へのお供えものを準備します。
地域や家庭によって内容が変わるかもしれませんが、私の幼い頃はこのような内容だったと記憶しています。

・ヒラウコウ(線香)
・重箱料理(ジューバク)
・ウチカビ
・いつものお供え物(お供え花、お茶、お酒、生菓子、果物など)

お膳やお供え物の並べ方にも決まりがありますが、地域や家庭によってさまざまなやり方がありそうですね。

お供え花は日持ちする生花(菊をはじめユリやランなど)を中心に彩り豊かにするのが生家風。
お供え花は日持ちする生花(菊をはじめユリやランなど)を中心に彩り豊かにするのが生家風。

私が経験したジュウルクニチー(十六日祭)

私の生家は沖縄本島南部の那覇なので、本来なら、さほどジュウルクニチーを盛大に行わない地域です。しかし亡き祖母のルーツが八重山(石垣島)だったため、祖母はジュウルクニチー(グソーヌ正月/十六日祭)を盛大に行いました。

その際、重箱料理の支度(ジューバクシコー)を担当するのは、母の役割でした。
現在は観光客向けのお店が連なる平和通りや牧志公設市場で重箱料理の食材を購入するのですが、三枚肉、昆布、餅、生菓子など、それぞれに行きつけの店があり、食材の買物だけで一日がかり。さらに購入した食材を調理するのに半日を要し、手間ひまかかる大仕事でした。

私はそんな母の背中をみながら、水で戻した乾燥昆布を結び昆布にしたり、煮付けに使うゴボウの皮をむいて5センチほどの長さに切りわけたりする作業を妹と担当しました。
三段重ねの重箱に、半日かけて準備した重箱料理を詰めたら、お墓まで持参します。その後、当時ウフヤーアンマーだった亡き祖母が、拝みの口上を述べます。口上を終えたら、お墓に集った親族全員で重箱料理をいただきました。

お墓参りに持参する重箱料理の中身。
お墓参りに持参する重箱料理の中身。

最後に。

八重山をルーツとした祖母が亡くなり、ウフヤーアンマーが母に引き継がれてからは、お墓参りをするほど盛大なジュウルクニチーを行わなくなりました。

それでも私の生家では現在も重箱料理を準備して仏壇に供え、日ごろから一族を護ってくださるご先祖様に感謝の気持ちを伝えて、一族の息災をご先祖さまにお願いすることは変わりません。

生前の祖母の足腰が弱り、徐々に年中行事が母に受け継がれていた頃、「お母さんは、すっかり我が家のウフヤーアンマーだね。」と、満足そうに笑う祖母の表情を時折思い出します。沖縄の年中行事が連綿と血縁に受け継がれていく様子を目の当たりにできたことは、娘の私にとっても貴重な経験だったと思う最近です。

今回は、年中行事から「ジュウルクニチー」を紹介しました。
次回も、沖縄ならではの年中行事「シーミー(清明祭)」についてお伝えしたいと考えています。

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