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真境名 育恵

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沖縄の旧暦行事「シーミー(清明祭)」 ~仏壇持ち家庭の窓から~

沖縄の旧暦行事「シーミー(清明祭)」 ~仏壇持ち家庭の窓から~

読者のみなさん、こんにちは!ライターの真境名育恵(マジキナイクエ)です。

三寒四温も過ぎて、春の陽気を感じる今日この頃。沖縄は“うりずん”を迎え、一年を通じて気温的にも日差し的にも穏やかで過ごしやすい季節になりました。そろそろ新年度がはじまり、新しい環境での生活をスタートさせている方もいらっしゃるかもしれませんね。

このコラムでは沖縄の旧暦行事について、「仏壇もちの家」に生まれた筆者自身の経験も交えながら綴っていきます。どうぞよろしくお付き合いください。

今回は、沖縄の年中行事「シーミー(清明祭)」をご紹介いたします。

目次

「シーミー(清明祭)」とは?

シーミー(清明祭)とは、門中や各家庭でお供えものをして祖先をまつる、沖縄ではとても大切な行事のひとつです。二十四節気の5番目「清明節(せいめいせつ)」になると親族でお墓に集まり、ピクニックのようにお弁当をひろげて、ご先祖さまをお参りする光景は沖縄ならではの風物詩です。

琉球王国時代から中国(大陸)の影響を大きく受けてきた沖縄ですが、中国からの来住者の子孫が住む久米村(現在の那覇市久米)で早くからシーミー(清明祭)が行われていたそうで、その習慣が沖縄本島南部を中心に全域に広がって現在に至ります。

ですが、実は宮古・八重山・久米島をはじめ、沖縄本島でも北端や南端部の地域では年中行事としてはほとんど普及していないそうです。

生家・新開家のお墓の前で独身時代の母を撮影した写真(現在のウフヤーアンマー)
生家・新開家のお墓の前で独身時代の母を撮影した写真(現在のウフヤーアンマー)

いつやるのか?(旧暦で毎年清明の時期)

「清明祭」と書くように、シーミーは「清明」の節気に行います。清明の節気は、新暦の4月4日か5日にはじまります。2023年は4月5日~19日の15日間です。

シーミー(清明祭)は、年中行事のなかでも親族が集まる大きな催しです。期間中であればいつ行ってもよいとされていて、ムートゥヤー(仏壇のある本家)が一族全員に連絡を取って、都合の良い日に予定を組みます。集まりやすいゴールデンウィーク前に行うのも特徴ですね。

シーミー(清明祭)はお祭り行事に値します。そのため、この一年で親族が亡くなっている場合には行いません。その代わりにジュウルクニチー(十六日祭)にお墓参りを行うのが習わしとなっています。

お供えもの

シーミー(清明祭)では先祖へのお供えものを準備します。
私の幼い頃は下記のような内容だったと記憶していますが、地域や家庭によって内容が異なるかもしれません。お膳やお供えものの並べ方にも決まりがありますが、地域や家庭によってさまざまなやり方がありそうですね。

・線香(ヒラウコウ)
・重箱料理(ジューバク)
・ウチカビ
・いつものお供えもの(お供え花、お茶、お酒、生菓子、果物など)
・ビンシー(簡易拝み箱)

清明祭の重箱料理の中身。お参りする私たちの好物も持ち寄ります
清明祭の重箱料理の中身。お参りする私たちの好物も持ち寄ります

私が経験したシーミー(清明祭)

私の生家は親戚が少ないこともあり、他所のお宅とは違って家族だけでシーミー(清明祭)を毎年行っていました。

親戚が少ない理由は、沖縄戦で祖母の男兄弟の大半が亡くなっていること、そして、祖父は戦前、九州から行商で沖縄に移住してきたヤマトンチュ(内地からの移住者)だったため、祖父の親戚筋も集まりにくかったことが挙げられると思います。

戦後、生家のウフヤーアンマーだった祖母は、ユタ(民間信仰の巫女)に依頼して沖縄戦で亡くなった兄弟の御霊(魂)を探し、見つけた魂を石に託す「マブイクミ」という儀式を数年かけて行いました。当時、私は4、5歳でしたが、祖母の兄弟の魂を捜し歩くユタの拝みに付き添った記憶がおぼろげながらあります。

「マブイクミ」をお骨替わりに、祖母は祖母自身の生家(宮里家)の墓を建てました。さらに本州から移住してきた祖父(新開家)の分骨を行い、那覇最大の霊園である識名園に生家のお墓を建てました。二つのお墓を建てる偉業を成した祖母は、当時40代だったと思います。それら大仕事ができたのは、アメリカ世といわれる米軍統治下の沖縄で商売繁盛した結果だと、生前よく話していました。

こうして私の生家では先祖を敬う土台が築かれ、毎年4月になるとお墓に集まり、ご先祖さまのお墓参りをしながら重箱料理を広げるシーミー(清明祭)を行いました。

花器が倒れないようにツッカケ棒で、しっかりガード
花器が倒れないようにツッカケ棒で、しっかりガード

私の生家のシーミー(清明祭)の特色として、もうひとつ変わっている点があります。それは、那覇市の泊外国人墓地にも毎年お参りすることです。

祖母の妹にあたる大叔母の夫が元米軍のアメリカ人で、沖縄の熱心な祖先崇拝に感銘を受けていたそうです。そして「毎年親族がお墓参りしてくれる清明祭のある沖縄に骨をうずめたい」とお願いしていたらしいのです。

ですが、生家のお墓に親族以外のお骨を納骨することはできません。そこで大叔母が泊外国人墓地に納骨し、毎年シーミー(清明祭)の時期になると、生家一族で訪れてお参りをしています。

泊外国人墓地に埋葬された大叔母の亡き夫。清明祭には生家と同じようにお参りします
泊外国人墓地に埋葬された大叔母の亡き夫。清明祭には生家と同じようにお参りします

最後に。

現在、生家の年中行事を取り仕切るウフヤーアンマーの母も70代になりましたが、一族が集う「シーミー(清明祭)」をいまでも大事にしています。
私の生家のシーミー(清明祭)は、家族のイベントごとが多いゴールデンウィークの時期を避けた週末に開催するところも特徴ですね。ほかの年中行事と比べ、生きている側(お参りする子孫)の都合も大切にしている部分が大きいように思います。

また年中行事が連綿と受け継がれてきた生家も、母の「後継」を誰にするのか?という課題があり、「お墓や仏壇」を継承していくことのたいへんさを感じる場面が多くあります。
少子化問題が深刻化していく現代において、一族にとって大きなイベント・シーミー(清明祭)が継承されていく過渡期にきているような気がしないでもありません。

年中行事から、「シーミー(清明祭)」を紹介しました。
次回も、沖縄ならではの年中行事「浜下り」についてお伝えしたいと考えています。

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