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OTV報道部

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ノーベル賞作家大江健三郎さん死去 「沖縄ノート」を執筆するなど沖縄とも関わり深く

ノーベル文学賞を受賞し、2023年3月に老衰のため亡くなった作家の大江健三郎さん。
本土復帰前から足繁く通い「沖縄ノート」を出版するなど、沖縄と向き合い、沖縄戦とは何だったのか国民に問いかけてきた大江さんの足跡を振り返る。

「沖縄は自己決定権を守ろうとしている 日本の植民地じゃない」

1994年に川端康成に次いで日本で二人目のノーベル文学賞を受賞するなど、戦後の日本を代表する文学者としてペンを握り続けた大江健三郎さん。

2015年には普天間基地の移設計画が進む名護市辺野古を訪れた。

大江健三郎さん
「沖縄に来てよく耳にしたり目にしたりした言葉に『自己決定権』という言葉があります。
沖縄は自己決定権を守ろうとしています。沖縄は日本の植民地じゃないと」

平和・反核を訴えてきた大江さんは本土復帰前から足繁く沖縄に通い、1970年に「沖縄ノート」を出版した。

玉寄哲永さん
「沖縄問題に関しては、かなり深いことまで取り上げていただきました。見識というより、感性の鋭い人でした」

玉寄哲永さんは、大江さんが記した沖縄ノートも深く関わった16年前の県民大会の世話人を務めた。主催者発表で11万6000人が参加した2007年の県民大会。

沖縄戦で起きた住民の強制集団死、いわゆる集団自決に日本軍が関与したという記述を歴史教科書から削除した文部科学省の検定意見の撤回を求めた。

沖縄戦のあの真実が戦後ずっと誤魔化されている

検定意見の根拠とされたのが、沖縄ノートの座間味島・渡嘉敷島の集団自決における日本軍の責任を巡る記述により名誉を傷つけられたとして、当時の戦隊長らが出版差し止めを求め大江健三郎さんなどを訴えた大江・岩波裁判だった。

この裁判や教科書検定問題をきっかけに、沖縄戦の史実が歪められてはならないと、集団自決を生き延びた住民たちが自らの壮絶な体験を語り始めた。

琉球大学の山口剛史教授は、裁判を沖縄から支援してきた。

琉球大学 山口剛史 教授
「沖縄県民全体があの裁判を通して、もう一度、沖縄戦とは何か、強制集団死とは何だったのか、みんなで歴史を作り上げる作業、そういう時間でした」

2011年、旧日本軍の関与を認める判決が確定し、大江さんが勝訴した。

玉寄哲永さん
「沖縄問題を調べ上げた結果、(大江さんは)沖縄ノートに関して修正する必要はないとはっきり言いきっています。
自信のあり方が見えてくるだけに、ご本人が勝訴した背景は動かしがたいものがあります」

琉球大学 山口剛史 教授
「彼自身の名誉の問題だけでなく、沖縄戦という歴史をどのように記憶し考えていくのか、それを、特に本土の日本人という立場で何を受け止めないといけないのかということに真摯に向き合ってこられました」

沖縄に向き合い過重な基地負担を国民全体に問いかけた

2015年、沖縄を訪れた大江健三郎さん。
過重な基地負担を沖縄に押し付けていることに、日本人として恥ずかしさや矛盾、根本的な問題であると考えないか国民に問いかけた。

大江健三郎さん
「なぜ沖縄でなければならないのでしょうか。
なぜこの70年間、沖縄が基地であり続けて、それを日本人が容認しているのでしょうか。
根本的に沖縄の基地をなくすかどうかということの議論が進められていく必要があります。
そして次は、それを実現するということを特に若い人たちは考える必要があります」

平和や反核、護憲を訴えてきた大江さんは2023年3月3日、老衰のため亡くなった。
88歳だった。

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