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ウチナーンチュにたくさん出会える国ペルー!【Vamos a OKINAWA!】(#5ペルー・リマ篇)

「第7回世界若者ウチナーンチュ大会」を通して出会った、沖縄出身でペルー留学中のみーゆ(銘苅実祐)、ウルグアイ留学が終了したばかりのずっきー(鈴木礼)、カナダに留学中のロジーニャ(與崎夢乃)、ブラジルのカンポグランデ出身で沖縄県系3世のジュリ(大城ジュリアネ)の現役大学生4人による、世界の「オキナワ」を探す旅”Vamos a OKINAWA!
5つ目となる最終目的地はペルー・リマです。
目次
最終目的地へ、到着!
旅の最終目的地であるリマは、太平洋を臨む海岸に位置するペルーの首都。
夏はほとんど毎日が太陽燦々で暑いのですが、私たちが行った時期は、ちょうど曇りや霧が見られ、過ごしやすいお天気でした。


ペルーにはウチナーンチュがいっぱい
ペルーの最初の沖縄移民は1906年に「厳島丸」という移民船に乗って到着しました。
実は沖縄からの移民はペルーへの最初の移民船「佐倉丸」より7年遅れて渡航しているんです。にもかかわらずその後ウチナーンチュコミュニティは日系人の中で過半数を占める大きなものとなっていきました。
現在は在ペルー全日系人のうち約7割がウチナーンチュです!
2016年には移住110周年を迎え、故翁長知事などもペルーを訪問し、ペルー沖縄県人会館、通称AOP(以下AOP)で盛大な式典が開かれたそうです。
ペルー沖縄県人会ツアー
中心市街地から少し離れた郊外に位置するAOP。BBQ広場で夜中までパーティーしても外に迷惑にならないのがいいトコロ!と、AOP事務局長ロベルトさんが話してくれました。

まずは青年会の子たちによるAOPツアー。
沖縄祭りやその他屋外イベントを行う「かりー広場」、新年会やウチナー演芸会、カラオケ大会、会合など用途多彩な大ホール、沖縄そばやゴーヤーチャンプルー、テビチなどがいただけるレストラン「Okinawa」、三線や紅型、空手、日本語教室などに使われる部屋の数々。さらに、グラウンドやゲートボール場、プールなど屋外施設も見せていただきました。それにしても、広いっ!!

そしてなんと、私たちがAOPを訪問したその日がちょうど各市町村会会長の交代による新年度会議の日。AOP訪問の日がペルー沖縄県人会の要人たちが勢ぞろいする日に当たったなんて、本当に幸運です!皆さんの前で挨拶させて頂き、この旅の経緯や私たちの想いを伝えることができました。

青年会の若者たちと交流
AOPツアーの後は、青年会の若者たちとユンタクしながらお昼ごはん。有名なペルー料理の一つである「ロモ・サルタード」をいただきました。
会議が終わって舞台が空いていたので、スピーカーで音楽をかけて青年会のみんなとエイサーをしたり、「国道508号線(BEGIN)」を踊ったり。舞台裏から和太鼓を引っ張り出してきてカッコイイ和太鼓パフォーマンスも見せてくれました!
ペルーの伝統的なダンスも新年会などのイベントで踊る機会があるとのことで、踊って見せてくれたので私たちも見よう見まねで踊ってみました(笑)

AELU(Asociación Estadio la Unión)訪問
AOP訪問の2日後、4人でAELUという「日系人のためのスタジアム」を訪れてみました!
AELUは日本人移民によって作られた助け合いのための組合から始まり、現在は加入者12000人を超える大きな組合です。AELUの敷地内にはグラウンドやプール、ゲートボール場、日本の教育方針を据えた小中一貫校などが置かれ、日系人のイベントの中心地のひとつとなっています。

AELU敷地内の野球場の中には、ウチナーンチュが経営している売店がたくさんあります。
歩いていると、ご夫婦に「誰かスペイン語話せる?」と声をかけられました。話を聞いてみると、先日のAOPでの市町村会議の写真を見て、私たちのことを知っていたのだそう。旦那さんは、糸満市にルーツを持つ方で、Itoman Shi」とロゴが入ったキャップをいただきました!
別の日にお会いした、那覇市ルーツの方々は、那覇市グループと西原町グループを交えて三線などの芸能の練習をしていると伺いました。市町村ごとに特色が異なる、沖縄ならではの現象かもしれません。
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