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OTV報道部

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障害者が自立できる社会の実現を!人生をさらけ出してまで訴える女性の思い

重い障害があっても地域の中で「自立」して生きていくとはどういう事なのか…。自身の生きざまをさらけ出すことで、社会を変えようともがき続けてきた長位鈴子さん。東京で新たなチャレンジを始めた、鈴子さんの姿を追った。

自分の夢だけでは実現できない 応援してくれる人がいるのが一番の幸せ

東京都小平市にある、障害のある人の自立を支援するセンターの一室。ここで、長位鈴子さんは新たな生活をスタートさせた。

60歳となった今、体調は万全とはいえず、尿を体外に排出する膀胱瘻(ぼうこうろう)を付けているため、不意に痛みが襲う。

長位鈴子さん
「痛いです」

介助者も新たなメンバー。あうんの呼吸となるまでには時間が必要だ。

長位鈴子さん
「お風呂に入ってきます」

普段は研修室として使われる部屋のシャワー室は狭く、移動するだけでひと苦労だ。

長位鈴子さん
「介助者を信じることができなかったら、お風呂に入ることはできません。これが毎日かと思ったら死にそうです」

長位鈴子さん
「自分の夢だけでは実現できないので、支えてくれる人や協力してくれる人、介助者が必要です。一緒に応援してくれる人がいることが一番の幸せです」

自立生活センターは全国で減少 人材育成が課題に

この前日、鈴子さんは飛行機と電車を乗り継いで東京までやってきた。

長位鈴子さん
「(みんな)できない理由をいっぱい探します。私はそれが嫌で、あっちこっち行くんだけど、あえていばらの道を進みます」

体への負担を覚悟で鈴子さんが上京した理由…。それは、次代を担う若手のリーダーを育てるためだ。

障害者が地域で生活するために必要なサービスを提供する自立生活センターは、全国に130箇所ほど開設されたが、今では110箇所ほどに減り、人材育成が大きな課題となっている。

鈴子さんは、新たなプロジェクトについて全国の仲間に説明した。

長位鈴子さん
「障害者運動をすることで、自分たちが働く意味があるということを伝えていき、(人材を)育てていきたいです」

全国から希望者を募った結果、20代から40代の4人が参加することになり、この日は岩手県から越田日寿(こした ひとし)さんが研修にやってきた。

22歳の時、風邪のウィルスが原因で脳脊髄炎に罹り障害を負った越田さんは、親が病に倒れた時、失意のどん底に突き落とされたという。

越田日寿さん
「家庭環境が悪くなってしまって、精神科に預けられてしまったんです。先生に相談したら、あなたはここに居るべきじゃないよって言われました。でもどうしたらよいのでしょうか」

越田さんは2023年、念願だった自立生活を実現させ、同じく施設を出たいと願う仲間をサポートするため、自立生活センターを立ち上げた。

越田日寿さん
「(今回の研修について)すごくおもしろそうで、とてもやりたい気持ちが湧いてきました」

今は鏡に映る自分が嫌いじゃなくなった

鈴子さんは、なぜ自分が障害者運動に身を投じてきたのか。小学生の時、療育施設で味わった想いを伝えた。

長位鈴子さん
「夢を描けるかというと、描けません。『障害者が(社会で生きているのを)みたことありますか?私たちは見たことないです。みんな施設に行っていますよね。』とも言われました」

長位鈴子さん
「私の小学校の時の写真を見ると笑ってないんです。笑ってなくて。鏡に映る自分も嫌いでした」

長位鈴子さん
「自分に自信がついてきたのかな。昔は変な化粧をいっぱいしていたでしょう、あれって自分の心を隠すためです」

鈴子さんは障害者への差別をなくすため、県共生社会条例づくりに奔走した。

長位鈴子さん
「明日、条例づくりをやめるって言おうかどうか、毎日悩んでいました。仲間がいなかったらできなかったです。障害者は可哀想な存在とか生まれてこなくていい命、みたいな考え方がまだまだ根強く残っていて。それがやっと今日、生まれてきていいんだよっていうことが認められたっていうことはとってもうれしいです」

今は次世代の育成に全力を注ぐ。

長位鈴子さん
「命があと一日しかありませんといわれても、この一日を自分らしく生きられたらいいと思っています。諦めないでいいからみんな!成るようになります。為さねば何も成りません!」

鈴子さんは県内の自立生活センターの運営にも携わっているため、月の半分を県外で働き、半分は沖縄で働くことにしている。普段の生活の様子をさらけ出すことで、障害者の自立、さらには介助の仕事の一端に触れてほしいとの想いがある。

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