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関東の大城さんが大集合!!なぜ??
沖縄を代表する苗字の一つ「大城」
「比嘉」「金城」と同じく、沖縄では良く見かけるメジャーな苗字だ。
東京で「大城」さんが集う親睦会があるということで、OKITIVE取材班がおじゃました。
ここはオキナワ?
東京の新宿・歌舞伎町にあるイベントスペース「バトゥール東京」
沖縄でお馴染みのビールや泡盛に歌三線など、会場は沖縄色満載!
親睦会の名前は「大城会」。関東で暮らす大城さん(旧姓も含む)と家族や友人など約100人が集った。
「関東にも大城さんって意外といるんじゃない?」「みんなで交流したいね」など、熱い思いで、2004年頃に設立。
大城さんといっても、出身地や、仕事、生活する地域も異なるが、ずっと交流を続けているというから驚きだ。
せっかくなので、参加者の大城さんに話を聞いてみた。
大城章男(千葉県在住/中城村出身)
千葉県で建築設計会社を営む大城章男さん。
大城さんが上京したのは、沖縄が日本に復帰する前のこと。
青雲の志を抱いた青年は、琉球政府が発行したパスポートと米ドルを握りしめて、日本の土を踏んだ。
大城章男さん
「沖縄がまだ日本じゃなかったからずいぶん偏見もあった。学力の差は感じたので猛勉強した。当時と比べると、いま沖縄に対する印象はだいぶ変わった。」
大城章男さんは千葉大学を卒業後、東京の大手建設設計事務所などで研鑽を積みながら、ドイツやフランスイタリアなどを旅行して、近代建築及び古典建築を学んだという。
千葉を拠点に一級建築士としていまもなお、さまざまな建物の設計を手掛けている。
大城光正(東京都在住)
一方、東京都で空調設備会社を営む大城光正さんの生い立ちは複雑だ。
上京していた沖縄出身の父・正次さんと母・清子さんの元に生まれたが、光正さんを産んでしばらくして、体調を崩して、母・清子さんが亡くなったという。
大城光正さん
「小さかったから母親の記憶はほとんどない」
母親の死別をきっかけにその後家族は離散。
幼い光正さんは東京都が運営する養育施設「保田児童学園」に預けられることになった。
15歳で養育施設を出た大城さんは、同じ施設出身の先輩を頼るなどして、働きはじめた。
大城光正さん
「とにかく生きるためにがむしゃら。(出身が)沖縄ってことも意識することもなかった」
仕事を始めて10年経過し、独立したころ。大城光正さんの親戚が沖縄にいることがわかった。父親の出身地・糸満では親戚が集い、大城さんを大歓迎したそうだ。
大城光正さん
「親戚の優しさが身に染みた。早く戻っていれば苦労しなかったのに(笑)」
70歳を超えたいまも、空調設備の仕事で全国を飛び回っている大城光正さん。
沖縄出身の力士を応援するなど、沖縄への眼差しは厳しくも温かい。
さて、コロナ禍で4年ぶりの開催となった「大城会」。
いろんなゲストを交えながら、大きな盛り上がりをみせた。
現在、「大城会」を率いるのは、今帰仁村出身で現在茨城県で金属リサイクル業を営む大城勝さん。
今後の展望を聞いてみた。
大城勝(茨城県在住/今帰仁村出身)
”大城会”会長 大城勝さん
「大城会を通じて、沖縄の素晴らしさを発信して盛り上げたい」
会のフィナーレはおなじみの「カチャーシー」
上手な人には大城朝夫さんが持ってきたゴーヤーがプレゼントされた。
東京のど真ん中で、沖縄の風を吹かせた大城さん達の熱い思い。
今後も動きに目が離せない!
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