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「殺される…女は乱暴される…子どもたちの首を絞め水に沈めた」4万発の砲弾…54万の米軍が沖縄本島上陸した戦後80年

目次:
・4万発の砲弾撃ち込まれ海は軍艦で埋め尽くされた
・夜になって物が見えなくなると・・・
・パニックになった住民は愛する者に手をかけた
・弟とともに捕虜となり
・アメリカ軍の船で埋め尽くされた海
・動画でみる
アメリカ軍が沖縄本島へ上陸したのは、いまから80年前の1945年。その記憶を、いまなお鮮明に覚えている男性がいる。
「死ぬことしか考えていませんでした」と当時を振り返る男性は、二度と戦争をやってはいけないと強く訴える。
沖縄県読谷村・楚辺に住む山内盛光さん(91)。
沖縄戦当時、山内さんは古堅国民学校に通う11歳だった。
4万発の砲弾撃ち込まれ海は軍艦で埋め尽くされた
山内盛光さん
「この辺の艦砲はものすごく激しかったです。みんな布団をかぶって隠れていました」

1945年3月、アメリカ軍は慶良間諸島への侵攻後、沖縄本島への上陸に向けて読谷村など本島の西海岸を中心に7日間をかけて約4万発の砲弾を撃ち込んだ。

読谷村の海岸が上陸場所として選ばれたのは、読谷と嘉手納にあった2つの飛行場の占領に加え、4つの師団を率いるアメリカ軍の大部隊を一挙に展開する必要があったためだ。
当時、山内さんは父親が海岸沿いに掘ったガマで母親や兄弟と避難していた。
しかし熾烈な艦砲射撃に身の危険を感じ、山内さん一家はアメリカ軍の上陸前日には楚辺の集落内にあった「クラガー」と呼ばれる洞窟へと避難した。
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