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夢は結果ではなく、旅路だ #10荒川颯<下>【KINGS PLAYERS STORY】

北海道の時、初めて「もうバスケを止めるかもな」と思った。そのくらい、苦しかった。
特別指定選手時代を含めると、4季目となった2022-23シーズン。僕はレバンガ北海道からオファーをもらい、初めてB1のチームとプロ契約を結ぶことができた。

チャンスを手繰り寄せるきっかけをくれたのは、当時北海道のエースガードだった寺園脩斗さん(神戸ストークス)だ。同じエージェントに所属している。オフに一緒に練習している時に「まだ次のチームが決まってないんですよ」と話をした流れで、球団に僕の存在を伝えてくれた。すると、チームの方も評価をしてくれて、その後にオファーをもらえた。
周囲とあまりコミュニケーションを取らない以前の自分であれば、人の繋がりで人生が好転していくということはほとんどなかった。それこそ尖っていたら、誰も助けてくれない。人間的な変化に対し、周囲も認め始めてくれていた。
オファーが届いた時は、「ようやく自分の力を証明できる機会が来た」と感じて、とてもワクワクした。ずっと「自分はもっとできる」という強い思いがあった。「今度こそ結果を出す」。強い決意で北海道へ飛んだ。

しかし結果的には、バスケに臨む上でのメンタルが崩壊するほど、苦しいシーズンになった。
前半戦では20試合ほど出場した。先発でコートに立ったり、二桁得点を挙げたりした試合もあった。でも、もともと日本代表のポイントガード(PG)を担っていた佐古賢一ヘッドコーチ(HC、当時)から見て、僕はまだまだガードとしての知識と判断がB1レベルに達していなかった。僕に対して期待をしてくれていたこともあり、厳しく指摘されることが増え、コート上で萎縮するようになってしまった。
「うまくできる」と思っているはずなのに、いざ試合でプレーするとなると恐怖心が湧いてくる。試合に出たいはずなのに、いざ試合を目の前にすると「出たくない」という思いが湧いてくる。自分の中に矛盾が生まれ、イップスのような状態に陥ってしまった。佐古HCも、僕が「自分に負けている」と感じたと思う。中盤からは全く使われなくなった。
「もうバスケをやめるかもな」
小学生でバスケットボールを始めてから、初めてそう思った。それくらい、苦しかった。
その後、終盤戦を前にHCが交代した。もちろん佐古さんが悪かったとかでは決してないけど、そのタイミングで「もう一度頑張ってみよう」と気持ちを切り替えることができた。なんとか踏みとどまったという感覚だ。
その後もシーズン終了までほとんど試合に出ることはできなかった。でも、やるべきことをやり続けた。練習でのパフォーマンスは上がり、少しずつ自身を取り戻していった。恐怖心も自然と消えていった。
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