エンタメ,テレビ,復帰50年,文化
具志堅 宗精 ~なにくそやるぞ!の精神でオリオンビールを立ち上げた~【オキナワ強者(チューバー)列伝】
1972年5月15日、沖縄は日本復帰。あれから50年という歳月が流れた。
戦後、アメリカの占領統治下での苦難を乗り越え「復帰」にたどり着いた沖縄。
世紀の「世替わり」の裏側では、時代を切り拓いた「強者(チューバー)」がいた!
「世替わり」という激流の中で奮闘した「強者」の姿にスポットを当てる!
※チューバー:琉球語で「強い」「強がる」「気が強い」「勇気がある」の意
今回は「沖縄経済」をテーマに沖縄財界四天王を紹介!
はちゃめちゃでパワフルな男たちの物語!
「沖縄経済」三人目の強者(チューバー)は、具志堅宗精!!
1896年那覇に生まれる。戦前は各地の警察署長を歴任。
1950年に醤油の製造会社「赤マルソウ」で成功した後、1957年には「オリオンビール」 を創業し、沖縄県内トップシェアを「なにくそやるぞ」の精神で達成する。
宮古群島民政府知事も務めた具志堅宗精。
米軍監視下の時代で、物資の取引が自由に行うことができず、当時は密貿易の船が絶えなかった。
密貿易用に船を買うこと自体が商取引に当たってしまうのだが、これを認めなければ島民の生活に支障が出てしまう。
どうにか密貿易業者に船を購入させてあげたいと考えた具志堅知事は裏ワザに出ます。
その裏技とは?
1.戦時中に沈んでしまった船の登録を復活させて割り当てた
2.米軍の監視を避けられる港を自ら作った
答えはなんと1番。
「戦時中に沈んでしまった船の登録を復活させて割り当てていた」
実はこの事実、米軍も知っていたようです。具志堅宗精より事前に説明を受けて、迷惑をかけないという約束で黙認していました。
それほど人望が厚かった具志堅宗精は、そのほかにも数多くの伝説を残しています。
そのほか、具志堅宗精のチューバー列伝はこちらをご覧ください。
「アメリカ世」から「ヤマトの世」へ!「復帰」という時代の大転換の荒波の中、様々なジャンルで沖縄のために奮闘した「強者(チューバー)」たちの熱い物語を、沖縄テレビが記録したアーカイブ映像や、証言をもとにしたドラマで振り返る!
あわせて読みたい記事