復帰50年,文化
復帰を知る vol.2 ~復帰はなぜ5月15日?~
沖縄は2022年、本土復帰50年の節目を迎える。OKITIVEでは「本土復帰50年企画」として、2012年に沖縄テレビのニュース番組内で特集したシリーズ企画「復帰を知る」などの過去の放送素材と、新たに取材した復帰にまつわる内容などを加えて特集していきます。
2回目は「復帰を知る ~復帰はなぜ5月15日?~」です。
戦後、四半世紀にわたりアメリカの施政権下にあった沖縄。
1972年に沖縄は日本に返還された。
【街頭インタビュー】
今帰仁から商売をするため那覇へ通っていた女性
「復帰後変わったのは道、名護の七曲とかね、自分たち運転してもバックできませんというぐらいの道幅だったので。」
復帰時にコザで中学一年生だった男性
「おこづかい10セントで、今の1ドルの10分の1でパンとコーラ食べられたんだから、ある半面、復帰前が良かったなー中学校時分に戻りたいなぁなんて。」
沖縄県民がそれぞれの思いを胸に迎えた「1972年5月15日」の本土復帰の日。
この日が持つ意味合いも県内の若い世代にとっては薄れつつあるようだ。
【街頭インタビュー】
Q.沖縄が本土に復帰した日って何月何日かわかります?
A.「わかんないです」
「アメリカから日本に渡った時ですよね、それくらいしかわからないですね」
「親世代くらいかなという感じであんまり分からない人が多いと思います」
「休みじゃないですから、慰霊の日の方が印象強いんじゃないですか」
「5月15日で自分がぴんと来なかったのも悔しいですし、内地にいこうと思っているので、沖縄のことをちゃんと学んでから行きたいなと思いました」
日本の節目、新学期といえば春の入学式、企業や官公庁の新年度も4月ですが、そもそも復帰の日はなぜ「5月15日」になったのか?
【屋良朝苗主席琉球政府最後の所信表明演説】
「1972会計年度は琉球政府にとって最後の会計年度ということになります」
琉球政府・東京事務所の渉外官だった新垣雄久さんは、復帰を目前に控えるなか、日本の各省庁と主に予算面の折衝にあたってきた。
琉球政府・東京事務所渉外官 新垣雄久氏
「復帰で難しいのはもちろん政治状況もありますけどね、まず復帰となりますと引き継ぎの問題があります、大きいのは財政と人事の問題となるわけですよ」
アメリカ民政府の下、立法院や裁判所の三権を備え国政事務と県政事務が混在していた琉球政府。これら一国並の業務を沖縄県への移行に向け整理する必要があった。
琉球政府・東京事務所渉外官 新垣雄久氏
「制度が違いますから、税金の問題にしても何にしてもそれをどうし直しをするか。」
「ほとんど日本政府の法律に合わせたやり方ではありますけどすけど、仕組みはアメリカ、例えば会計年度が違いますからね。」
日本の会計年度が4月から始まり3月決算なのに対し、当時のアメリカは7月スタート。
この3か月の端境期に加えアメリカ側の介入もあり、復帰前の予算執行は毎回補正に補正を重ねる困難なものだった。
復帰日が「5月15日」になったのも実は、沖縄を取り巻く2つの会計年度がポイントではないかと当時からささやかれていたという。
琉球政府・東京事務所渉外官 新垣雄久氏
「あの頃の予算を取り扱ったものにしては、(復帰の日は)7月1日と4月1日のちょうど中間だと、その方がどちらにとってもいいんじゃないかとそういう風に自分勝手な解釈をしとったんですけどね。」
「極秘」の判が押された文書、2011年12月に公開された沖縄返還に関する復帰前年の日米の外交文書。
この中で復帰日の見通しについて「1972年4月1日」とすることは、「いよいよ疑わしい」との見解が示されている。
その理由は・・・
「スペシャルウェポンの撤去は、到底明年(1972年)4月1日までには完了できない」
復帰の時期を左右するこのスペシャルウェポンとは?
国際政治に詳しい琉球大学の我部教授に聞いた。
琉球大学 我部政明教授
「アメリカ側が外部で話すときに『核兵器』のことについて直接明示できないという事情から『スペシャルウェポン』と言っています。」
復帰前、沖縄のアメリカ軍基地に「核兵器」が配備されていたことは公然の秘密となっていた。復帰日が遅れた最大の理由が、このスペシャルウェポンの「撤去」だった。
さらに、日本側の弱みも指摘されている。
「沖縄の局地防衛のtake overが困難」
琉球大学 我部政明教授
「航空自衛隊の配備と沖縄の防空というものが、73年、実際1年以上遅れて配備されるんだよ。どうしても4月1日をアメリカ側に言うわけにはいかない事情があって弱みがあるわけ。」
こうして、県民が強く望んだ1日も早い本土復帰は秘密裏に先送りされ、その落とし所として双方の会計年度の間、「5月15日」での復帰が決まっていった。
琉球政府・東京事務所渉外官 新垣雄久氏
「まぁあの頃はアメリカ政府が考えているのと日本政府が考えているのと、やはり世論の違いがありますからね、いろいろそういったところで、どこで、あまり言われないように、国民がもしくは県民が納得いけるような、まぁ理屈をつけるポイントというのを探し取ったんじゃないですかね。これは言っちゃいけない、こういう風に言おうぞ。なにかあったと思いますね、戦後の秘話。復帰の秘話はいくらでも今後出てくるともいますよ。」
5月15日の本土復帰の日。
それはまさに、日米外交の狭間で揺れる沖縄を象徴する日だった。
復帰50年未来へ オキナワ・沖縄・OKINAWA
2022年5月15日(日)正午から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!
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