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OTV報道部

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復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

沖縄は2022年、本土復帰50年の節目を迎える。OKITIVEでは「本土復帰50年企画」として、2012年に沖縄テレビのニュース番組内で特集したシリーズ企画「復帰を知る」などの過去の放送素材と、新たに取材した復帰にまつわる内容などを加えて特集していきます。
3回目は「復帰を知る~沖縄野球に込められた県民の思い~」です。

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

野球が沖縄に伝わったのは今からおよそ130年前の1894年、沖縄の学生が修学旅行で訪れた兵庫県でこのスポーツに触れ、それが那覇を中心に広がったとされている。

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

しかし先の戦争で、戦局が悪化すると野球は敵国のスポーツとして批判の的となり、野球を楽しむ人の姿は徐々に消えていったという。

野球はその後、高校野球の全国大会への参加が1972年の本土復帰に先駆けて実現される等、戦後の荒廃から立ち直ろうとする県民を励ます存在となった。

「野球復興」は沖縄野球の父と呼ばれた国場幸輝さんの力が大きかったと言われている。

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

甲子園で沖縄県勢初勝利投手となった沖縄県野球連盟 又吉民人理事長(当時)
「もうこの方はですね、野球を語る上で欠かせない方で、高校野球、社会人野球とか大学野球とか終戦直後から全てに関わって、全ての掘り起こしといいますか、パイオニアとして活躍して頂いた」

沖縄野球の復活を後押ししたのはほかにもある。

甲子園で県勢初の勝利投手となった沖縄県野球連盟 又吉民人理事長(当時)
「我々も甲子園に行くときに、ある輸送部隊からユニフォーム、スパイク一式寄付してもらいました。頑張ってこいよということで、学校の朝礼で向こうの大佐が来て、贈呈式もやりましたけどね」

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

戦時中、敵国のスポーツとの扱いを受けた野球ですが、アメリカの統治下になるとプレーをする環境整備が早かったことが分かった。

そして、沖縄戦で全てを失った人たちの娯楽として県内全域に広まっていったという。

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

元琉球石油野球部・名嘉原盛文さん
「戦後、いわゆる娯楽の無い時代に、映画を観るか、ダンスホールに行くか、野球を観に行くか、この3つしか無かったんだと思いますよ」

名嘉原盛文さんは、戦後の沖縄で人気を誇っていた職域野球の花形選手で、当時の事を懐かしそうに振り返る。

元琉球石油野球部・名嘉原盛文さん
「凄まじいものですよ、当時の野球熱というものは」
「それまでは沖縄の野球チームが沖縄の子ども達にとってはまさにプロのような存在でね、追いかけ回してた時代があった」

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

名嘉原さんは一枚の写真を紹介してくれた。
それは、アメリカの統治下に置かれおよそ20年経った1964年、九州大会で大分県に行った時の写真。

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

元琉球石油野球部・名嘉原盛文さん
「ちょっと見てごらん、何か気がつきませんか?」
「電電九州はどこ代表ですか?」

記者
「熊本県」

元琉球石油野球部・名嘉原盛文さん
「松島大島は?」

記者
「長崎県」

元琉球石油野球部・名嘉原盛文さん
「琉球煙草は?」

記者
「沖縄ですよね あぁ”県”が無いんだ」

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

元琉球石油野球部・名嘉原盛文さん
「そうなんです、あなた良く気がついた」
「沖縄だけ表記に”県”が無かったんです、我々はこの頃から県民の間で、言われ始めた言葉があります」
「県出身の大臣が先か、甲子園の優勝が先か・・・」

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

本土復帰を果たした野球に遅れて、沖縄も本土復帰を実現した。
しかし、そのことは沖縄野球界にとって、大きな転換期となったという。

沖縄県野球連盟五十年史には、本土復帰による企業整備の為、硬式チームを解散し不参加と記されている。

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~
復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

甲子園で県勢初の勝利投手となった沖縄県野球連盟 又吉民人理事長(当時)
「復帰になりますと、当然本土と同じシステムの中に入るわけですから経済的に厳しくなるぞということで、僕はちょうど復帰前後に就職したんですけど」
「あの頃はもう復帰1年くらい前から採用しないんですよ、要するにどうなるか分からないということで」

元琉球石油野球部 名嘉原盛文さん
「まぁどっちかというと金食い虫であるところの野球チームは休部や廃部という考え方に至らざるを得なかった」
「復帰1年ほど前からそういう動きがありましたね」

再び訪れた沖縄野球の危機、しかし、野球は形を変えて、県民の復興を支えるものとなっていった。

元琉球石油野球部 名嘉原盛文さん
「その代わり高校野球が隆盛を見たという側面もあるんです」
「復帰を境に高校野球が盛んになったと思います」

1999年、第71回選抜高校野球大会で沖縄尚学高校が県勢初優勝。
2010年、興南高校が甲子園春夏連覇を果たした。

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

甲子園で県勢初の勝利投手となった沖縄県野球連盟 又吉民人理事長(当時)
「特殊な県民感情というのが高校野球にあった」
「これからも県民とともに県民の中に存在するスポーツとして、野球は続いていくような感じはしますけど」

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

元琉球石油野球部 名嘉原盛文さん
「高校野球の春夏連覇をもって、まさに本土と肩を並べる、自信を持って物が言える、そういう時代になったと思います」
「ハンディキャップはもうありません」

復帰を知る vol.3 ~沖縄野球に込められた県民の思い~

戦前・戦後と県民とともに歩んできた沖縄野球は、本土復帰をきっかけに大輪の花を咲かせた。

復帰50年未来へ オキナワ・沖縄・OKINAWA
2022年5月15日(日)正午から沖縄県内のテレビ8チャンネルにて生放送!

>番組情報はこちら!

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